いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

川崎で起こったことと、いま、ここで起こっていること

※個人の特定を避けるため、僕が聞いた話に部分的な変更を加えています。


ある医者に聞いた話。
つい先日、病院で当直をしていたら、親に連れられた中学生がやってきたそうだ。
顔じゅうが腫れていて、片方の眼の周りは紫色になり、ものが二重に見えるという。
知り合いの医者が問診をすると、彼の親は、こんな話をしたそうだ。


「うちの子、最近ずっと帰りが遅かったんです。アザや傷をつくって帰ってきて。何度か問い質したんですが、『関係ないだろ』って、何も話してくれなくて。でも、今回はいままでのなかで、いちばん酷い怪我をしていて、顔も変わってしまうくらいで。それでも、夜、出ていこうとしたので、必死になって止めたんです。あの、川崎の中学校1年生の事件のニュースをみて、うちの子も……と気づいたんです。いえ、いままでも薄々感づいてはいたのですが、やっと、引き止めなければ、と決心したんです」


その子は、懸命に止める親に根負けするように、いま、不良グループに目をつけられていて、ずっとひどい暴力を受けていること、そして、今夜も呼ばれていることを、ぽつりぽつりと話してくれたそうだ。
怖かった、でも、誰にも助けを求めることができなかった。
これは自分の問題だから、親にも迷惑はかけられないと思っていたのだ、と。
あの川崎の事件をみて、本当に怖かった、と。


彼は、大人に通報することによる復讐を恐れていた。
親も、「子どもの世界のことだから」と思っていた。
まだ中学生なのに、と大人になると思うけれど、中学生には、中学生のプライドや自立心があって、それは、大人になって覚えているよりも、ずっと大きく、はっきりとしたものなのだ。


幸いなことに、彼は頭部にひどい皮下血腫をつくっていたものの、脳に明らかな損傷はなかった。
彼の親は警察に通報し、病院にも警察官がやってきたそうだ。
その後どうなったのかは、聞かなかった。知り合いの医者にも、わからないだろうし。


彼は言ったそうだ。
「順番が逆だったら、殺されていたのは、あの川崎の子じゃなくて、僕だったかもしれない」
たぶん、あの川崎の事件が、あまりにも惨い事件が報道されたことが、間接的に一人の中学生の命を救った。
いや、そんなふうに教訓めいた話にするべきじゃないのだろう。
「救った」なんていうのもおかしい。
結果的に、そうなっただけのことだ。
あの事件で殺された男の子は、そんなことで感謝されたくもないだろう。
死んで感謝されるより、生きていたかったに違いないのだから。


メディアでは、川崎の事件は「残酷な、未曾有の事件」だと有識者たちが述べている。
だが、本当にそうなのか。


ハインリッヒの法則」というのをご存知だろうか?

 1件の大きな事故・災害の裏には、29件の軽微な事故・災害、そして300件のヒヤリ・ハット(事故には至らなかったもののヒヤリとした、ハッとした事例)がある。

というものだ。
医療現場では、医療ミスが起こる背景の説明に、よく使われる。


たぶん、川崎で起こったことと、僕の知り合いが体験したことは、「いま、日本で起こっている、たった2つだけの事例」ではないはずだ。
あれは、「川崎で起こった、あの残酷な事件」ではなく、「いま、ここで起こっていることが、少しエスカレートしてしまった結果」なのだ。


この話には、きれいなオチも、美しい未来予想図もない。
スカッとするような、どんでん返しもない。
彼の日常が、急に晴れわたるとも思えない。
それでも、僕はこの話を、ここに書かずにはいられなかった。
僕も「大人に言いつけることができなかった中学生」だったから。


こういう事件を「教訓」にしてしまおうとする自分がイヤになる。
ただ、自己嫌悪に陥ることができるのも、生きている人間の特権なのだ。