いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「全国の小学生のうち、”毎日”新聞を読む小学生は何%?」

先日、『ネプリーグ』というテレビ番組で、こんな問題が出題されていました。


「世の中の意外な%を当てろ」という問題です。

全国の小学生のうち、”毎日”新聞を読む小学生は何%?


解答者のネプチューンの名倉さんは「11%」と答えたのですが、答えは「8%」。


ちなみに、
ときどき読む:21%
ほとんど読まない:41%
購読していない:30%
なのだそうです(ベネッセ教育情報サイト調べ)。


名倉さんは「10人に1人くらいかな、と思って」と仰っていましたが、僕は、この問題をみて、「40%くらい?」と答えてしまったのです。


いま、僕の家では、新聞を購読していないのです。
新聞って、お金はかかるし、けっこう場所をとるし、そもそも、ニュースはネット+時々テレビで十分じゃないか、と。
実際に、それで不自由はしていません。


でも、この問題の答えを考えながら、僕は自分が子供の頃、30年前は、家で毎朝新聞を読んでいたような記憶があるんですよね。
というか、今日のテレビで何をやるか、昨日のカープの試合結果はどうかを知るためには、とりあえず新聞を読むしかなかったので。
それを考えると、本当に便利な世の中になったのですけど、当時は、「ついでに」新聞の1面の見出しとか、社会欄とか、読者投稿欄とかも読んでいました。
もしかしたら、それが、けっこう社会についての知識を深めることにつながっていたのかもしれません。


ネットの普及によって、家族のあいだでも、それぞれの趣味とか情報って、「家族それぞれが個人的に所有するもの」になってきていますよね。
本だって、電子書籍であれば、その人がスマートフォンタブレット端末に入れて、持ち歩くことになります。
家族にも、その人が何を読んでいるかはわかりません。
それは、プライバシーを守る、という意味では良いことなのだけれども、「自分の趣味以外の領域を、ちょっとつまみ食いしてみる」機会は、結果的に減ってしまったような気がします。
子供って、親や兄弟の本棚から、気になる本を抜いてきて、隠れて読んでみたりするじゃないですか。性的なものに限らず。


以前、大学時代に帰省した際、少し年の離れた弟が、「兄ちゃん、筒井康隆の『霊長類、南へ』って、面白いねえ」と言ってきたとき、僕は強烈に「ああ、お前は僕の弟なんだな」と確信した記憶があるのです。
もちろん、兄弟だから本の趣味が合うとは限らないのですけどね。


新聞とか紙の本って、家族の間での「さりげない知識の伝承」みたいな役割を果たしてきたのかな、と思うのです。
親に「読め」と言われても読まないけれど、ちょっと目についた記事があったときに、自発的にめくってみることはある。
核家族化が進み、子供は子供で自分のスマートフォンで情報収集をする時代ではあるけれど、だからこそ、どこかで、「自分の好みとは、ちょっと外れた情報」を得やすい環境をつくったほうが良いのではないか、という気もします。