いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「なんでパパが、お仕事に行かなきゃいけないの?」

今朝、5時過ぎに病院からの電話で起こされた。
予想外の、緊急呼び出し。


ふだんであれば、すぐに支度をして家を出るところなのだが、今朝はあいにく、6歳の長男と二人きりだ。
妻は、親戚の不幸で、4ヶ月の次男とふたり、実家に戻っていた。


長男はこのまま寝かせておこうか、とも思ったのだが、長男が寝ているうちに仕事を済ませて帰ってくるのは難しい。まだ小学校に上がる前の6歳の子供を、ひとりで留守番させるのも不安だ。
このまま何の説明もしないまま家を出て、目が覚めたら一人きりだったら、パニックに陥るかもしれない。
次男が生まれてから、すべてが「赤ん坊優先」になっていることに長男は戸惑っており、一人っ子のときより、甘えたり、淋しがったりするようになった。
周囲から「そういうものだ」と聞いてはいたので驚きはしなかったが、実際にその姿を目のあたりにしてみると、こちらも赤ん坊の世話で余裕がないこともあり、苛立つこともある。


とりあえず、長男を起こして説明しなければなるまい。
やや強引に起こして、なるべく穏やかに話す。


「パパは、これから病院にお仕事に行かなくちゃいけなくなったんだ。ごめんね」


まだ眠い息子は、それを聞いて、混乱していた。まだ半分眠っている、という状態でもあり。


「ええーっ、ひとりでいたら、悪い人たちが来るかもしれないし、こわいよ。だいたい、なんでパパが、お仕事に行かなきゃいけないの? 今日は日曜日なのに! 行っちゃダメ!」


泣きはじめてしまった長男、途方に暮れる僕。
長男の言い分もわかる。
だが、やはり「行かなければならない」のだ。
ずっと泣いて、「絶対に行かないで!」と声をあげている息子に、少し苛立つ。
僕だって、好きこのんで、日曜日の早朝に、仕事に行きたいわけじゃない。
でも、ここで長男に八つ当たりしては、負けだ。


やむをえず、まだ5時半にもかかわらず、妻に電話を入れ、妻の実家に長男を連れていくことにした。
次男の世話で寝不足だろうから、あまり起こしたくはなかったのだけれど。


事情を説明すると、妻は「わかった。連れてきて」と快諾してくれた。
こういうとき、同業者だと「戦友」的な阿吽の呼吸、みたいなものがある。
「そういうことがある仕事」であることは、お互いに経験し尽くしているので。


病院に電話をして、少し時間がかかるので、行くまで当直医に対応してもらうことをお願いし、まだパジャマの長男に上着を羽織らせ、妻の実家へ。
道中、息子はずっと「なんでこんなことになるの?」「ママと一緒にいればよかった」などと言い続け、僕はせつなさと苛立ちが入り混じったまま、車を運転していた。


真っ暗な中、長男を妻の実家に送り届け、「なんで〜」「いってらっしゃい、おつかれさま」という子供と大人の声を背に、仕事に向かった。


道中、車の中で、考えていた。
「行かなければならない」というのは、僕が僕自身に勝手にはめた枷みたいなものなのかもしれない。
もちろん、患者さんは誰かが診なければならないが、当直医にまかせてしまう、ということだって、開き直ればできないことはない。
現に、そうしている人もいるのだから。
だが、僕はまだ、そうする勇気がない。
ずっと診てきた患者さんへの責任みたいなものも感じているし、当直のキツさと、その中で、イレギュラーな仕事が増えることのつらさも知っているし。
そういうのも「自分が嫌われたくないから」なのかな、と考えたりもする。
日曜日の朝に子供を叩き起こして泣かせ、赤ん坊の世話で寝ていない妻に電話をするような生き方が「正しい」のか?


ただ、そこには「誰かがやらなければならない、あるいは、やったほうがいいこと」があって、それを「誰か」がやっているからこそ、世の中というのは回っている。
その「誰か」にはいろんな事情があるけれど、それを、僕は見ないようにしている。


母親が亡くなったあと、仕事に復帰した当日の夜に、患者さんが亡くなった。
僕はまだ快復しきってはいなくて、率直なところ、人を看取るのが、つらくてしかたがなかった。
できれば、逃げ出したかった。
確認とお見送りをしたあと、アパートに戻ってきて、ひとりで涙を流した。
悲しいとか、いろいろ思いだしてとか、そんなのじゃなくて、ただ、涙が止まらなくなったのだ。
でも、亡くなられた患者さんの御家族は、そんな「背景」を知る必要はない。
あの日、職業人としての礼儀にかなった振る舞いができていればよかったのだが。


仕事を終えて、ネットで、後藤健二さんが亡くなられた、というのを知った。
こんな情勢下で危険な地域に行くなんて無謀ではあったのだろう。
しかも、妻とまだ生まれたばかりの娘さんを含む、二人の子供を残して。


遠く離れた地で、人質になっているひとりの男。
「すべては自分の責任」と言い残していたけれど、あの地に行くこと、そして、人質として、生と死の境界を行ったり来たりしていたときには、「死にたくない」「家族に会いたい」と思ったこともあるはずだ。
自分の本心ではないメッセージを読まされることや、自分が「政治的主張や取引」の材料にされることへの無念さもあったのではないか。
すぐに命を奪われるよりも、ほんの少し希望が見えたりしながら生かされるほうが、残酷だったのではないか。


後藤さんは、戦地で活動するジャーナリストとして「覚悟」はしていたのだと思う。
そういう意味では、2年前にアルジェリアで人質にされ、殺害された日本人技術者たちのほうが、理不尽な死であったのかもしれない。
「テロとの闘い」は、今この事件で、はじまったわけではない。
約40年前には、日本人が国際テロの加害者にもなっている。


そもそも、世の中には、理不尽な死が溢れている。
その理不尽さを計測するメーターなんて無いけれど、危険ドラッグを使用して運転した車に殺された子供の死のほうが、よほど「理不尽」ではある。
後藤さんは、そんな「理不尽な死」とくに「子供たちの理不尽な死」が起こっている地域の現実を伝えようとしている人だった。
もし、後藤さんがこの人質事件に対する報道を観ることができたら、この10分の1の時間でも、日本のマスメディアで、あの地域の子供たちや空爆で家を失った人たちのことを伝えてほしい、と思ったのではないだろうか。


後藤さんは、「誰かがやらなければならないこと」「けっして安全ではないこと」だからこそ、それを自分がやろうとしたのではないか、僕はそう思っている。
それが、理不尽な死を自分にもたらす可能性があったとしても。


それは、英雄的な行為なのかもしれない。
たくさんの子供たちの未来を切り開くために、自分を犠牲にしているのだから。
だが、そのために、後藤さんの家族は、息子を、兄弟を、夫を、父親を失ってしまった。


「家族のためにも、行くべきではなかった」
それは、たぶん正しい。
だが、世の中には、「それでも、自分が行くしかない、行くべきだと考える人」がいるのだ。
彼らは、英雄でもあり、困った人でもある。愚かと言えば、愚かだ。
だが、本人としては「それが自分がやるべきこと」だというだけのことなのだろう。


「あなたたちのお父さんは、あなたたちを愛していないから日本を出たのではなくて、あなたたちを愛しているからこそ、あなたたちが生きていく未来を、少しでも良いものにするために、自分なりのやりかたで頑張ったのだ」


 なぜ父親は、あんなことをしたのだろうか?そう思うことだって、あるかもしれない。それも、自然なことだ。
 でも、僕はひとりの父親として、子供に伝えたい。


 これは、僕が自分の子供に伝えたいことでもある。言葉にしようとすると、うまく伝わらないし、今はわからないのが当たり前だということも、理解している。
 それでも、いつか、この世界から僕が消えてしまった後にでも、「ああ、そういえば親父は、あの日、困った顔をしながら仕事に行っていたな」と懐かしく思いだす日がくるのかな、と想像せずにはいられないのだ。
 僕も、そんな子供だったから。


 今回の事件で犠牲になった、後藤健二さん、湯川遥菜さんの御冥福を祈ります。
 僕には悼むことしかできないけれど、お二人が願っているのは「復讐」ではないと感じています。