いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕にとっての「書店では買いにくい本」

参考リンク(1):「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた(田舎で底辺暮らし)
「文庫女子」フェアが色々ひどすぎた - 田舎で底辺暮らし


 かなり話題になったこのエントリなのですが、ブックマークコメントのなかに、「ラインナップ自体は純粋におもしろそうな。たしかにレジに持って行きにくいPOPではあるな…」というのがあったのです。その他にも「こんなフェアをやっていると、これに影響されたと思われるのが恥ずかしくて、紹介されている本に興味があっても、手に取ったり、レジに持っていく気分になれない」という反応も散見されました。


 こういうのを読んでいて、「ああ、書店のPOPなどで強く推されていると、かえって飛びつきにくくなる」っていうの、僕にもあるなあ、と。


「書店員さんがPOPで発信するオススメの本」って、大型書店では、よく見られますよね。
 で、POPを見てみると、たしかに、ちょっと面白そうだな……と。
 僕の場合は、おもむろにiPhoneを取り出して、Amazonのユーザーレビューを確認することも多いのですが、「ここで働いている人が紹介した本」というのを購入するのって、ちょっと気恥ずかしいんですよね。
 それこそ「自意識過剰」なのですが。
 もしかして、このPOPを書いた人が、レジで、「こんなオッサンに買われるなんて、気持ち悪っ!」とか思うのではないか、とか、逆に「してやったり!」と心のなかでガッツポーズをされているのではないか、とか。
 僕自身は、基本的に、サービスを受ける際に、「あの人」として個体認識されるのが、ものすごくイヤなんです。
 よく行く定食屋で、「いつもありがとうございます」とか言われたり、「ちょっとおまけ」されてしまうと、足が遠のいてしまう。
 「常連さん」みたいな認識のされ方をしてしまうと、「常連さんとして、相手の希望に沿ったふるまいかたをしなければならない」というようなプレッシャーを感じてしまうのだよなあ。
 「他人に嫌われたくない」というのを突き詰めると、「嫌われるのが怖いから、自分のことを認識してほしくない」ということになるのかもしれません。


 「書店では買いにくい本」の定番といえば、「エロ本」「性的な内容の本」ですよね。
「ですよね」って言われても、僕は、私は違う!と仰る方も多いと思いますが、まあ、1万人にインタビューすれば、おそらくこのジャンルが1位になるはず。


 永江朗さんの『「本が売れない」というけれど』という新書のなかに、こんな話が出てきます。
「なぜ人はAmazonで本を買うのか?」を考察した文章の一部です。

 アマゾンは販売する人の顔が見えない。機械で注文して機械が運んでくるようなイメージなのだ。実際に倉庫で働いているのは人間で、人間が24時間、注文に従って棚から本をピックアップして箱に入れるのだし、配送のトラックを運転するのも人間だ。読者(消費者)に届ける宅配業者のドライバーももちろん人間である。だがコンピュータの画面とキーボードで本を注文し、自宅のドアまで届くという一連のプロセスのなかで、生身の人間に接することはほとんどない。せいぜい宅配便のドライバーから荷物を受け取り、サインをする30秒ほどの間だけだ。
 他人と触れあわずにすむことがアマゾンの魅力である。ぼくらは本を買うとき、できれば他人にかかわりたくないと思っているのではないか。読者は人間の内面にかかわることだ。どんな本を読んでいるのか知られたくないときもある。だから人は本にカバーをかける。
 アマゾンのランキングを見ていると、あきらかにリアル書店のランキングと違うと感じる。そのなかには、性に関するものや(必ずしもポルノグラフィーとは限らない)、容姿や能力など人のコンプレックス感情を刺激するような本も多い。ようするにリアル書店では買いにくい本だ。
 ぼくらはリアル書店で多少なりとも他人の視線を意識している。ほかの客の視線や書店員の視線だ。そこには「こう見られたい」という自分の気持ちと、そうではない現実の自分とのギャップがある。昔かあ、「エッチな雑誌を買うときは、難しそうな雑誌の間に挟んでレジに差し出す」というジョークのような話がある。難しい本を買うときは誇らしげに、軽薄だと思われている本を買うときはこそこそしている自分がいる。
 以前、ある書店で本を買ったとき、レジで店主にその本についてあれこれ話しかけられ、困惑したことがある。書店主は客との距離を縮めたいと思って話しかけたのだろうが、客としてはこれから読む本の内容について話されても、「そうですか」としか答えようがない。その後、その店では本を買わなくなった。


 これを読んで、「ああ、『めんどくさい客』っていうのは、僕だけじゃないんだな」と、安心したことを告白しておきます。
 「Amazonに対抗するには、人のぬくもりが伝わる書店をつくることが大事」みたいなことを言う人もいるのですが、実際に書店でいちいち店員さんに話しかけられたりしたら、僕はめんどくさい。
 「リアル書店には、人のぬくもりがあったほうがいいけれど、直接の接触は勘弁してほしい」というのが、僕の本音なんですよね。
 だから、POPで過剰に推されている本は、その書店では手を出しにくい。


 こういうのって、気にしない人にとっては、全く気にならない話だと思います、というか、僕が気にしすぎだっていうのは、わかってはいるのですが……


 そういえば、昔の『テクノポリス』とか『ポプコム』の「美少女ゲーム特集」とか、ほんと、困り果てていました。「いや、僕は美少女ゲーム特集だから、買っているわけじゃないんです、本当です!」って内心言い訳をしながら、レジで会計を待つ気まずさと言ったら……
(実際に、当時の僕は「18禁ゲーム」には興味がなかったんです。単純に、僕が好きなテレビゲームの枠組み」のなかに、入っていなかったから)


 電子書籍もよく購入するので、Amazonの「Kindle人気ランキング」を見るのですが、ずっと観測していると、週刊誌で、よくKindleランキングに入っているものが、2誌あるのです。
 ひとつは、『週刊アスキー』、そしてもうひとつは『週刊プレイボーイ』。
 『アスキー』はわかるんですよ。Kindleを使って本を読むようなデジタルガジェット好きにとって、週刊で発行されている、まとまった情報誌として重宝されているのだろうな、と。


 では、『週刊プレイボーイ』は?
 まあ、これもわかるんですよ。
 なんのかんの言っても、書店やコンビニで『プレイボーイ』を買うのは、けっこうハードルが高いのだろうな、と。
 2006年に、島田雅彦さんが「集英社の『週刊プレイボーイ』って読者の年齢が低いように思うでしょう? じつは結構高くて、40近いんですよ」と発言されています。
 それから10年近く経っているのですが、おそらく、読者の年齢層というのは「ちょっと上がっているか、あまり変わらない」くらいだと思われます。
 いまの若い人は、みんなネットでそういう画像や動画を検索するから、エロ雑誌は売れなくなった、と言われていますが、この『プレイボーイ』の健闘をみると、「これまでの雑誌と同じものでも、レジを通さずにKindleで買えたら、案外売れる」可能性もあるのではないかな。
 レジに持っていく、というのは、気にする人にとっては、ハードルになるのです。
 エロ系のコンテンツに限らず、「ダイエット本」を持っていけば、「この人は太っていることを気にしているんだな」と、「モテるためのテクニック」なんて本を持っていけば、「この人はモテなくて、そのことを本人もつらく感じているのだな」と思われてしまうのではないかと危惧しているのですよ、「気にする人」って。
 考えてみると、自分のスマートフォンKindleのリストにずっと入れっぱなしというのは、家のなかにHな本を放り投げておくよりも、よっぽど、「見られると困る他人の目に触れるリスクがある」のですが。


 ちなみに、僕がリアル書店で「買いにくいなあ」と思うもののひとつに、「本に関する本」があります。とくに「書店員さんに関する本」というのは、「これをレジに持っていきたくないなあ」と。
「このオッサン、書店員マニアなのか?」とか思われるんじゃないか、とか、「うわ、書店員ストーカー?気持ち悪い……」とか内心気味悪がられているのではないか、とか。
 逆に「この人は、この業界に興味を持ってくれているのか!」と、「期待」されたり、「同族意識」を持たれたりするのも、先ほどの「個体認識されるのがイヤ」というのもあって、避けたいですし……


 Amazonのおかげで、売りやすくなった本、買いやすくなった本って、ものすごく多いのではないか、と思うんですよ。
 

 POPやフェアによる販促がこれだけ盛んだというのは、やはり、それなりにプラスになるという統計上の結果が出ているのだろうし、嫌う人がいても、まず選択肢に入れてもらえなければはじまらない、というのも事実ではあるのでしょうけど。


 そういえば、僕は「店の前でアルバイトの人が一生懸命、ずっと旗を振っているガソリンスタンド」も大の苦手です。
 あの人、きついだろうな……ということばかりが、気になってしまって、目をそむけてしまうのです。





ちなみに、「こういう本」が僕には書店で買いにくいのです……良い本なんですけどね……

善き書店員

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