いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

☆をみるひと




 この羽海野チカ先生のツイートを読んで、有名人って、いろいろとめんどくさいことに巻き込まれて大変だなあ、と。
 僕自身もツイッターで他人の「お気に入り」を覗けることを知らなかったんですよね。


 羽海野先生のツイートでは、実際に、どの「お気に入り」に、誰が「削除要請」してきたかは書かれていたのですが、SNSのこういう機能って、利用している本人と、周囲の人の受け取りかた、見かたが乖離してしまっていることが、少なくないような気がします。
 大部分の人は、「いちいち他人の『お気に入り』まではチェックしない」し、チェックする場合も、自分にとって不快なものを、その人が「お気に入り」にしていても、「ふーん、そういうのが好きな人なんだ」と、やや興醒めしつつ去る、というくらいが「一般的な対応」だと、僕は思っています。
 でも、そうじゃない人もいるのだな、と。


 羽海野先生は、ツイッターにの「☆」=「お気に入り」を、「ポストイットみたいに使用している」と仰っています。
 僕も同じような使い方をしているんですよね。
「これは良い、みんなに伝えたい」というものについては、RT(リツイート)するけれど、個人的にちょっと気になるものとか、後でブログを書くときに使えるんじゃないか、あるいは、世の中にはこんな考え方をする人がいるのか、と感じたときには、☆(お気に入り)を使います。
 要するに「自分は興味あるけど、みんなに拡散するのはためらう、という場合。
 もちろん、RTと☆が両立していることも多々あります。


 ツイッターって、どんどんログが流れていくし、「お気に入り」が、最も簡便ですぐに参照できるブックマークなので(『はてなブログ』では、こうして紹介するツイートも「お気に入り」のなかから選べる、というのもあります)、まさに「ポストイットみたいに使用している」のですよね、僕も。
 たぶん、そういう使い方をしている人は多いと思う。
「○○はゴキブリ」みたいなヘイトスピーチを「お気に入り」にしている人のなかには、その言葉に賛同している人もいれば、ネット上での「ヘイトスピーチ」を研究していて、その事例を収集している人もいるはずです。
 自分とは異なる意見にこそ「興味」がある、という人もいる。
 いつか反撃するための材料として、保存している人も、たぶん、いる。
 この機能の名前が「お気に入り」だから、良くないのだろうか。


 RTに関しては、「能動的に拡散したい」という意思がある、と判断されても、致し方ないところはあると思います。
 ある程度ツイッターを使い慣れている人ならば、なおさら。
 でも、今のツイッターの機能と利便性を考えると「お気に入り」はブックマークとして使っている人も多いだろうし、そもそも、「こんなのをお気に入りにするのはおかしい」と他者から責められるのは、あまりにも「立ち入ったこと」のように思われます。


 ただ、ブックマークには、たしかに、「その人の興味をうつす鏡」みたいなところはあって、『はてな』で、「自分の気に入らないエントリばかりをブックマークして、罵倒コメントばかり書いている人」をみかけると、「そんなに自分の嫌いなものばかり探して集めてきて、楽しいのかなあ……」とは思うのです。
 罵倒される側としては、つい気になって、その人がどういう人なのか、確認しに行くこともある。
 そして大概は、「まあ、こういう人なら、あんまり関わり合いにならないほうが良いのだろうな」と、自分に言い聞かせることになる。


 『はてな』といえば、「はてなスター」というシステムもあります。
 僕はこれ、「ちょっと面白いなと思ったり、興味を持った場合に、勢いでつけられる、簡単なサイン」くらいのものだと思っていたんですよ。
 狭い道で譲ってくれた対向車に、ピッ、と短くクラクションで合図をする、そのくらいのものだと。


 ところが、世の中には「あなたは、こんなエントリに(あるいはブックマークコメントに)スターをつけていた、なんて酷い人なんだ!」とか言う人がいるのです。
 スターって、そういう「重い解釈」がめんどくさい人たちのために作られたシステムなのだと思っていたので、ちょっと驚きました。
 そして、詳細は省きますが、『はてな』の内部でも「スターはそのエントリやコメントへの賛意を示すことになるし、それで攻撃をされても仕方がない」と解釈している人がいるようです。
 カラースターを売っているのだから、「スターくらいでいちいち文句言ってこなくてもねえ」とは言えないのかもしれないけれど。
 それ以来、僕はスターをつけることはほとんど無くなりました。


 僕だって、自分に対する悪口にスターがつけられているのをみると悲しくなります。
 そして、「このスターをつけている人は、こういうまわりくどい嫌がらせみたいなのをする人なのだろうか」とも思う。
 自分のこととなると、つい、悪く解釈してしまうところはあります。


 それでも、「思うだけにする」というのが、僕のスタンスです。
「なんでこれにスターつけてるんですか?」とは、尋ねない。
(というか、そのスターの主が誰かも、確認しません。知るとまたいろいろ考えてしまうので)
 仮にそれが悪意であったとしても、「悪口の尻馬に乗る人」まで気にしていては、あまりにもつらすぎるし、めんどくさすぎる。
 悪意を持つ人を説得するよりは、新しいエントリを書いたほうが建設的だ、と自分に言い聞かせます。
 そもそも、ネット上で「おまえ嫌い」って言ってくる人が、ネットのやりとりだけで「誤解してたよ」と言ってくれた経験は、僕には一度もありません。


 だいたい、「こんなのにスターつけやがって」という人は、スターをつけたことそのものが気に食わないというよりは、僕のことが嫌いで、攻撃する材料を探しあてただけ、のようにも感じます。


 ツイッターの「お気に入り」も、『はてな』のスターも、☆は、あまりにも多様に解釈されてしまう。


 ☆は、どこまでいっても、☆。
 星形の記号でしかないはずで、そこに過剰な意味をこめても、誰も幸せにはしないと思うのだけど。