いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『はてな匿名ダイアリー』の存在意義について

参考リンク(1):はてな匿名ダイアリー


参考リンク(2):はてな匿名ダイアリーへの投稿に関する削除の対応方針を追加しました(はてラボ 開発者ブログ)


『増田』こと『はてな匿名ダイアリー』、僕もけっこう読んでいるのですが、最近、こんな「削除の対応方針」が発表されました。

今後、はてな匿名ダイアリーへの投稿について、「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」というルールを設け、運用いたします。


 これまでは、「匿名ダイアリー」でも、言及された当事者からの削除要請があった場合「発信者への意見照会を行っていた」のですね。
 僕自身は「はてな匿名ダイアリー」を読んだり、ブックマークするだけで、書き込んだことはありません。
「匿名ダイアリー」に書くよりは、自分のブログのネタにしたい、というのが正直なところです。


 僕も悪口を書かれたことはありますし、今回の方針の明示については、妥当だと感じています。
「匿名」であることを盾に、個人に対する悪口を書いて、「みんながそう言っている」ように思わせるのは、良いことではないでしょうし。


 これを読んで、「なぜこんな『悪口や誹謗中傷、デマの温床になりやすいような、匿名で書ける場所』が、『はてな』のコンテンツとしてつくられたのか?」と、あらためて考えたのも事実です。


 僕のネット歴は、もう15年くらいになります。
 最初の頃は、「面白いホームページ」というのを見つけることそのものが宝探しみたいなもので、「ネットの面白いサイトを紹介する雑誌」がコンビニや書店にたくさん並んでいたんですよね。
 そんななかで、僕はずっと「無名の人の日記」というコンテンツを愛読していました。
 当時は、ネットをやっている人の割合がまだ少なくて、「趣味はネットサーフィンです」なんて言う人がいると「へえ〜」なんて半ば感心され、半ば気味悪がられていた時期でした。


 『さるさる日記』とか『エンピツ』とか、いや、もっと前のホームページビルダー、手打ちHTMLの時代から、「個人の日記」というのはネットの主要コンテンツだったのです。
 今みたいに「みんながネットを日常的に使用する時代」以前は、ハンドルネームで、自分の仕事のことや恋愛のことなどを、赤裸々に書いていた人が、少なからずいたんですよね。
 そういう日記に対して、「セキュリティの問題」とか「他人の秘密をバラすな」などと異議を呈する人もほとんどおらず、「ネットという世界そのものが、ちょっとアンダーグラウンドで、そこに集まっている仲間意識」に支えられていたのです。
 葬儀社で働いている若い女性の日記とか、タクシードライバーの日々の乗車記録と売り上げとか、不倫している人の日記とか……
 それこそ、どこまでが事実だったか、わからないのですけどね。
 言及されていた人が見たら、許せないようなものもあったかもしれません。
 あの頃は、僕が普通に生きていたら知り得ないような、普通に仕事をし、生活をしている人の本音の部分を垣間みるのが、すごく楽しかったのです。
 ちなみに、僕自身も日記を書くようになりましたが、「守秘義務」があるので、それなりに用心はしていました。
 用心しているうちに、どんどん仕事とは関係ないコンテンツばかりになり、現在に至る、という感じです。


 昔の「みんながひっそりと愚痴を聞いてくれるような雰囲気のネット」を、懐かしく思い出すことがあります。
 実際は、そんな時期って、ごく初期の何年間かくらいだったし、そんななかでも「炎上」は起こっていたし、そんな記憶そのものが、僕自身の「記憶の美化」でしかないのかもしれないけれども。


 『はてな匿名ダイアリー』の「匿名」って、どうしても「悪口や誹謗中傷の温床」になりやすいじゃないですか。
 自分が誰だか認知されていない場所では、恥ずかしいことをやるハードルは下がるから。
 こんなサービスが必要なのか? と僕も思います。
 名前も、ハンドルネームさえも出せない内容なら、書かなければいいのに、と。


 でも、その一方で、ちょっとしたアラ、みたいなものが、すぐに指摘され、大きく拡散されがちな現在のインターネットのなかで、「公言はできないけれど、誰かに聞いてほしい自分の気持ちや愚痴」を書くためには、『はてな匿名ダイアリー』みたいな場所が必要なのかな、とも思うのですよ。


 身近なところでは、家庭の悩みとか、仕事の愚痴とか。
 こういうのって、「たいしたことじゃない」「誹謗中傷じゃない」内容であっても、「あの人が言った」と特定されれば、周囲の好奇の目を集めるリスクがありますよね。
 書いている人を責めるようなコメントもつきがちです。
 愚痴は言いたいけれど、弱みは見せたくない、そんなときもある。


 以前、震災・原発事故後に福島県内の地域による「人々の意識の差」を書いたり、「結婚差別」について述べていたものがありました(ブックマークコメントなどでさんざん叩かれて、結果的には消えてしまったのですが)。
 ああいう内容は、「特定の人物」を傷つけるものではなくても、やはり、実名や固定ハンドルネームのブログなどでは、書きづらいところがあります。
 同じような内容を個人ブログで書いて、大バッシングを受けた人もいましたし。
「嘘でもないし、悪口でもないのだけれど、ある共同体のなかでは、そういうことを公言すると敬遠されてしまう」
あるいは、「書きたいことがあるけれど、『自分』というものを他者に認知されることへの羞恥心や、煩わしさ」を感じる人もいます。


 物事には、いろんな見方があって、叩こうと思えば、いくらでもその「材料」を見つけることはできる。
 完璧な文章など、存在しません。
 そして、ネットには「何かを発信するようなヤツ」を叩きたくてしょうがない人が、存在している。

はてなは、はてな匿名ダイアリーについて、投稿者が表示されず文責を問いにくいサービスであるという性質上、特定のユーザーや個人を批判・攻撃する文章を公開する目的での利用を適切とは考えておりません。特に、投稿者が表示されない状況を悪用し、言及された当事者が掲載を望まない内容を意図的に投稿する行為は、嫌がらせ、迷惑行為に該当すると判断して差し支えないものと考えます。

ユーザーの皆さまには、匿名性を活かした自由な表現が可能となる場として、はてな匿名ダイアリーをご利用いただきたいと考えております。普段お使いいただいているはてなIDなどのアカウントで書くものから離れた文章や、いつもとは違う筆致の文章などの投稿、匿名ならではの議論など、匿名性を楽しめるような形でご利用いただければ幸いです。今後もはてな匿名ダイアリーをよろしくお願いいたします。


「匿名ダイアリー」って、「悪口」のためではなくて、「これが言いたいのだけれど、自分に結びつけられてしまうことが怖い、あるいはめんどくさい」という人のための、「昔のインターネットの日記帳」のような役割を狙ってつくられたものではないかと思うんですよ。
そういうニーズは、いつの時代にだって、あるはずだから。


それが、「悪口の温床」と化してしまうことによって、「悪口じゃないんだけど、今のネット社会では、自分の名前と結びつけられると困ること」を、多くの人に読んでもらえる場所が、失われようとしているのです。


 この「増田」というシステムは、そういう「羞恥心あふれる人たちの救済の場」だけじゃなくて、「権力」あるいは「物事をなんでも自分の都合の良いように解釈し、他人を攻撃し続ける人」に対する抵抗の場、としての意義も、あるような気がするのです。


 相手が気にいらない発言をした、あるいは自分が嫌いなエントリにスターをつけたとか、ブックマークをしたというだけで絡んできて、ずっと否定的な言及を続けて粘着をするような人が、万が一出てきた場合、そして、その人に、まともに話が通じないような場合、「落書」(らくしょ:政治風刺、政治批判などの目的で人々の目に触れる場所に匿名で掲示、あるいは配布される文書、詩歌などのこと by Wikipedia)を掲げられる場所は、どこかに必要なのかもしれないな、と思うんですよ。
 「めんどくさい人に関わって、巻き込まれるのがイヤだから」という理由で周囲が何も言えなくなって、ある人が孤立し、追い詰められ、なぶりものにされているときには、『匿名ダイアリー』が、多少なりとも「加害者への抑止力」とか「第三者に状況を伝えるためのツール」になりえるから。


 ネット上の「無痛覚ソルジャー」に対して、一般のネットユーザーはあまりにも無力なのです。
 結局、あまりにひどいときには、運営や警察に通報するしかないのだとしても。


 ただ、こういうのって、「どういう相手であれば、『匿名での言及』が許されるのか?」という線引きって難しいというか、決めようがないことだし、基本的には「悪口、誹謗中傷はNG」あるいは「公人以外の特定の人物への言及はNG」にせざるをえないのだろうな、というのが、現時点での僕の考えです。


 使う側が「自制」していかないと、『はてな匿名ダイアリー』って、いつ打ち切られてもおかしくないサービスだと思うんですよ。
 もしかしたら、もう、「役割を終えてしまった」のかもしれないけれど。