いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

花火の音がきこえる。

いま、仕事を終えて帰ってきたのだが、マンションの駐車場に車を停めた途端、ドーン、という音とともに、最初の一発の花火が上がった。
いま、妻と息子は、義兄一家と一緒に、あの花火を会場で眺めているはずだ。
ああ、なんかせつないなあ、僕も花火観たかったなあ、と未練がましく駐車場で5分くらい眺めていたのだが、なにぶんにもここからは手のひらくらいの大きさにしか見えないので、部屋に戻って、小さな花火の音混じりのクーラーの音を聴きながら、これを書いている。


息子はいま、どんな顔で花火を観ているだろう。
5歳児にとっての、花火大会。


僕は子どもの頃、花火大会が嫌いだった。
暑いし、怖そうな人が多いし、綺麗といっても同じような模様が上がるだけで、ワンパターンだし。
ただ、出店でふだん食べられないようなヤキソバやたこ焼きを食べるのは好きだったのだ。
30年前は、ヤキソバやたこ焼きが、コンビニで毎日買えるような時代じゃなかったし。
でも、「親は嬉々として連れて花火大会に行こうとするけれど、家で本でも読んでたほうがいいなあ」と思っていた記憶がある。


学生時代は「誰か」と花火を観に行くのが、夏の一大イベントだった。
部活のメンバー大勢で行ったこともあるし、少人数のグループで行ったこともある。
誰かとふたり、というのも、あったようななかったような。
そんなときの花火は綺麗だったけれど、どちらかというと、花火を観ている横顔のほうが気になっていたものだ。
妻とは、何度も花火を観に行った。
結婚するのなら、一緒に花火を観に行っても疲れないひとがいい、ような気がする。


ハウステンボスの「世界花火大会」は、けっこう凄かったなあ。
会場で地元のテレビ局にインタビューされたのだが、こうして、「マスメディアなんて……」と書いている自分が、いざマイクを向けられてみると、「相手が期待していそうな答え」を無意識に探ってしまっていることに気づき、後で少し自分にガッカリした。
ああいうときに「いや、テレビになんか、興味ないですから」って言えるようなオトナになりたかったはずなのに。


結局、そのインタビューのなかで、使われたのは、僕と息子の手だけ、数秒間だった。


ここ数年の花火大会では、30分もしないうちに「飽きた〜」と愚図りはじめる息子をなだめている。
息子は、花火が上がっている最中に、眠ってしまうこともある。
花火、こんなに綺麗なのに、と、たぶん、30年前の僕の親と同じことを、いま、自分で感じている。
そして、あと何回、こうして花火を観ることができるのだろうか、と思う。


花火は綺麗だ。
花火大会は、楽しい。
でも、僕にとっては、ひとりで行くことはないイベントなんだよなあ。
花火大会のことを思い出すとき、必ず、そこに一緒にいた誰かのことも思い出す。
花火そのもののことは、ほとんど、覚えていない。


花火大会が終わり、またひとつ、夏が終っていく。
疲れて寝てしまった息子が手に握りしめている、すぐ死んでしまう金魚を眺めながら、いつまで、こんなふうに抱っこさせてくれるのかなと、少しだけ、せつなくなる。