いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「素直に承諾したものが損をする」というシステムへの疑問

先週の『怒り新党』で、こんな投稿が紹介されていました(記憶に基づいて書いているので、ディテールは違っていると思います。ご容赦を)

 わたしは、家電量販店などの「店員さんと交渉すると安くなるシステム」が許せません。
 あーだこーだと値引きを要求する人のほうが安く商品を買うことができ、何も言わずに店の言い値で買ってあげる善良な客は、表示価格で買って損をするというのは、おかしいと思います。


ああ、僕も「店員さんと価格交渉とかするのはめんどくさいし、それでも一応交渉はして、最初の条件提示くらいで引き下がってしまう」ので、この人の気持ち、わかります。
去年、車を買い替えたときも、「あんまりギリギリのところまで交渉して値引きさせようとして悪い印象を与えるよりは、『良い客』だというイメージを植え付けて、アフターサービスをしっかりしてもらったほうが良いのではないか」とか、自分に言い聞かせたりしていました。
まあ、車の価格というのは、ある程度煮詰まってきてしまうと、何十万単位でと急に下がったりはしないものだろうな、とも思いましたし(その何度かの交渉のあいだに、新モデルでも出れば別なのかもしれませんけど)。


番組のなかでは、マツコさんも有吉さんも「このメールの人の言いたいことはわからなくはないが、しょうがないんじゃない」というスタンスだったと記憶しています。
商売って、そういうもんだしねえ、値引きを要求してこない人にまで、わざわざ店側から下げてあげる必要はないだろう、と。
「そういうシステムがわかっている人は、『交渉するという手間を省いた分、高くなるのは仕方がないけれど、そもそも、それを知らない、おばあちゃんとかは、どうだろうね?」という話も出ました。
それに対して、マツコさんと有吉さんは「うーん、でもまあ、しょうがないよね。値引きしない分だけ、サポートとか、品物を車まで持っていってあげるとか……」と言っていたのです。
店側としては「値引きを要求しない客もいることを織込み済みでの価格設定」なのでしょうし、そもそも、ネット通販で買おうと思わないような層が、いまの家電量販店のリアル店舗の優良顧客なんだろうしねえ。
とはいえ、僕も「表示価格をギリギリのところにして、それ以上の値引きなし」のほうが「公平」であるとは思うんですよね。
海外での値引き交渉を旅行記などで読むと「めんどくさいよなあ」と感じますし。


「黙っている人のほうが、損をするシステム」といえば、僕はこの伊集院光さんの話を思い出すのです。


『のはなしに』(伊集院光著・宝島社)より。

(伊集院さん愛用のノートパソコンが故障してしまったときの話です)


 すぐに購入した家電量販店にパソコンを持っていくと快く「すぐにメーカーに頼んで無料修理をいたしますので、3週間お預かりいたします」という。3週間は少々痛いが、無料で直るのならいたしかたがない。と、パソコンを預けて帰宅。ここまでは良かったのだが…。
 3週間後、家まで宅配便で送ってくれるといっていたパソコンが届かない。問い合わせてみると、なんだかんだあった後に「メーカーに直接聞いてほしい」ということになった。
 その通り問い合わせてみると、メーカーの担当者が「すみません、あと3週間かかります」としれっというではありませんか。10年後の約束が3週間延びるのならばしれっといわれても仕方ないが、これでは倍の時間がかかるということではないか。びっくりして「ちょっと待ってください。これは仕事で使っているパソコンなので、そんなにかかるのならば最初にそういってもらわないと…一体どういうことなんでしょう?」といい返すと「少々お待ちください」と電話を保留する担当。
「三週間後に出来ます」っていって、三週間後に電話をかけたら「後三週間」ってどういうことだ? 修理作業20日目にして新たに3週間かかることが判明したってことか? そうじゃなければどこかで期日延長の連絡があってしかるべきじゃないのか?
 考えていると3分後「明日出来ます」ときてまたびっくり。先ほどの僕の声に多少不満のトーンはあったかもしれないが、誓って怒鳴ったり声を荒げたりしていない。いやいや、そんな問題じゃない。こんないいかげんな対応があるだろうか?
 僕が最初に「わかりました」といっていたら、どうなっていたんだ? 間違いなくまた3週間待たされたはずだ。これが「ごね得」というやつか? いや「ごね得」なんかじゃない「ごねない損」を回避しただけで、得なんてしちゃいない。不愉快な思いをした分まだ少しばかりの損だ。
 本当は「ちょっと待ってくださいその対応はおかしいでしょう、3週間といったり明日といったり…」と詰め寄るべきなのだろうが、そうなるとクレーマー扱いされるという恐怖があったし、何より僕は「早くパソコンが手元に届くならいいや」という気持ちでそれ以上話をせずに電話を切ってしまった。
 あとで「『クレーマーだから順番を早めてサッサと渡しちゃおう』ということだったのかも…」と思ったらなんか自己嫌悪と怒りの入り混じったひどく屈辱的な気持ちになった。
 僕はこういうことが嫌いだ。うまくいえないが、こういう応対が世の中をどんどん悪くしていると思う。「素直に承諾したものが損をする」というシステムは絶対に違う。こんな経験のせいで僕は次にこういうことがあっても一度訊き返すことだろう。正しいことをいってくれていても素直に「ではよろしくお願いします」ということはできないだろう。メーカーは期日がかかることが正当な理由なら毅然とした態度で譲らないべきだし、ミスがあるなら謝るべきだ。ひいてはみんなごね得を狙うようになる。絶対にメーカーもしっぺ返しを食う。
 結局翌日の夜、パソコンは手元に届いたが、僕は少しダメになった。


 この話は、僕にとっては、共感できるものであり、その一方で、耳に痛いものでもありました。


 サポートセンターで働いている人が書いた文章を読むと、「パソコンの素人たちが投げかけてくる無理難題の数々」に対応するのは、ものすごく大変なんだろうなあ、と考えずにはいられません。
 でも、たしかにこのメーカーの「対応」はあまりに酷い。
 最初に「3週間かかる」と言われたまま何の連絡もなく、期日になって、いきなり「あと3週間」と言われれば、怒らないほうがおかしいとは思います。
 今まで、何をやっていたんだ?と。
 それ以上に「何だそれ?」と感じたのは、ちょっと「それはおかしい」と言っただけで、「じゃあ明日出来ます」という豹変っぷりです。
 じゃあ、それってもともと3週間じゃなくて、1日でできる仕事なんじゃないの?という気がするし、もし、「本来の順番を飛ばして、あなたのパソコンを優先的に修理します」というのなら、「修理するメーカーも忙しいんだろうしなあ」と何も言わずに待ってくれている人は、どんどん後回しにされていくということなのでしょう。


 たしかに、「そんな世の中はたまらない」のだけれど、そういう伊集院さんですら、結局は「自分のパソコンが早く帰ってくるのだったら、ここで事を荒げても面倒なだけだな」と考えてしまったのもまた事実。
 もし僕が同じ目にあったとしても、おそらく、同じように「煮え切らない思いではあるけれど、これ以上あれこれ言っても、話がこんがらがり、自分が嫌われるばっかりで何のメリットもないよな」ということで、「優先修理」を受け入れておしまいにしてしまったでしょう。


 病院でも、こういうケースはあるんですよね。
 「あの患者さん、順番はまだですけど、待たせるとすぐ腹を立てて文句ばかり言うし、他の患者さんにも迷惑だから、先に診察してしまいましょう」という看護師さんに、医者になりたての僕は「それはおかしい」と何度も反論したものです。そして、何度も「面倒なこと」が起こりました。
 「医者も忙しいのだから」と、黙って長い時間待ってくれている患者さんは後回しにされて、自分の都合の良いようにならないと騒ぎ立てる人が優先されるのは、どう考えてもおかしいのに。


 ……でも、最近の僕は、そういう場に置かれたときに「余計なトラブルを起こすとかえって時間もかかるし、そうなるとめんどくさいから、先に診てしまう」ことがあります。ほんと、僕も少しどころではなく、「ダメになった」と思う。
 それは、明らかに「道徳的には悪いことだし、不公平」なのだけれども、現場としては、そういう「妥協」をしないと、不毛なやりとりで精神的にどんどん消耗していって、外来は大騒ぎする「モンスター患者」で雰囲気が悪くなり、トラブル対応で診察の進行も遅れ……ということが起こります。
 そして、それを「自分から正していく」ほどの気概も余裕もいまの僕にはないのです。


 僕にできることは、待たせてしまった「黙って待ってくれていた患者さん」に、「お待たせしてすみませんでした」と謝ることくらい。そういう患者さんは、だいたい嫌味のひとつも言わずに「先生も大変ですね」とねぎらってくれる人すら少なくありません。
 でも、内心は「いい人でいようとすると、余計に待たされる」ということに不満を感じている人もいるんじゃないかなあ。


 僕は思うのです。
 このままどんどん「ごね得」な世の中になってしまったら、「ごねる人」はもっと増えていくだろうし、みんなの「ごね」は、どんどんエスカレートしていく一方のはず。
 そうなったら、サービスをする側にだって、いつかは必ず「限界」が来ます。すべてのパソコンが1日で修理できるわけがないし、外来の患者さんを十人いちどに朝一番に診察するのも不可能なのだから。


 しかしながら、この「言ったもの勝ちの社会」がどうすれば変わるのか、僕には良い解決法が思い浮かばないんですよね。
 そもそも、「言う」っていうコストやリスクをおかしているんだから、その分メリットがあるのは当然じゃないか、と考える人だって、少なくないでしょうし。
 この3つの事例についても、少なくとも家電量販店で値引き交渉をする人や、伊集院光さんは悪いことは何一つしていません。
 「あのおばあちゃんにも同じように値引きしないのなら買わない!」とか言う人は見たことがないし、伊集院さんだって「俺のだけ早く修理すればいいって問題じゃないんだ!」って正論をぶつけても、事態がこじれるだけでしょう。
 目の前に自分より先に並んでいる人がいれば「こっちの人が先ですよ」って言うけれど、電話では「本来の順番」も知りようがない。
 カスタマーサポートの電話に出ている人が修理をするわけでもありませんし。


 「いいひと」は、周りから尊敬されたり、感謝されたりはするのかもしれないけれど、それ以外の見返りって、思いつかないのです。
 僕にできるのは、「優しく待ってくれている人」が、どこかでその分幸せになってくれていることを祈るくらい、なんだよなあ……
 やっぱり、なんだか割に合わないような気がするよ……
 


のはなしに?カニの巻? (宝島社文庫)

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