いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「野比のび太」受難の時代

先日、ある小学校の入試説明会に参加しました。
慶応幼稚舎みたいな超ブランド私立ではなく、地方のちょっとだけ偏差値高めの少人数学校。


ふうん、私立の小学校って、こんな感じなんだな、と校長先生の話を聴いていたのですが、ある説明のところで、ちょっと驚いてしまいました。


「保護者の方々も、お子さんの成績を知っておきたいでしょうけど、ふだんのテストの結果などは、なかなか見せてくれない、なんていう話も耳にします。でも、本校なら安心です。保護者のみなさんにパスワードを発行し、学校のホームページから、自分のお子さんの成績を、いつでも、好きなときに見ることができるんです!」


そ、そうなんですか……
うーむ、親としては、たしかに「知りたい」し、「便利」なんだろうな、とは思う。
でも、僕自身が子どもだった頃のことを思い出してみると、「テストの答案を、いつ、どういうタイミングで親に見せるか」という駆け引きって、けっこう重要だったんですよね。
悪い点数のときは、親の機嫌をよく見計らって出すようにしていたし、逆に「今回は……できなかったよ……なーんちゃって、ジャーン!!(100点)」みたいな小芝居を打ったこともありました。
子どもにとって、そういう駆け引きって、案外大事なコミュニケーションの修行なんじゃないかな、とかも思うわけです。


この「パソコンでいつでも成績を参照できるシステム」の場合、親の側としては、自分の機嫌が悪いときに見てしまって、状況をさらに悪化させる危険性もありますしね。


僕がこの話を聴いて、いちばん最初に思い浮かべたのは、野比のび太にとって、つらい時代になったものだなあ、ということでした。
ドラえもん』の「のび太が0点の答案を隠蔽しようとする一連のエピソード」って、あと10年くらいすれば、「へえ、昔はこんなことがあったんだねえ」なんて、子どもたちは思うのかもしれませんね。


それにしても、これ、本当に有益なシステムなんでしょうかね。
たぶん、「見られるなら見てしまう」だろうとは思うけど。