いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

長年ブログを続けることと「スルー力」について

参考リンク(1):古参ブロガーと株式会社はてなは全力でスルーしかしない - はてな村定点観測所


すみません、参考リンク(1)の記事と、あんまり関係ないかもしれませんが「長年ブログを続けることと『スルー力(するーりょく)』」について、ちょっと思うところがあったので、書いておきます。


「みなさ〜ん、私のこと、知ってますか?」
って、僕が言っても、たぶん9割くらいの人は「知るかボケ」と舌打ちをすると思いますが、僕はやたらとブログ歴だけは長くって、『はてなダイアリー』をβテスト時代から使っているんですよ。
(『はてなブログ』ではなくて、『ダイアリー』です。念のため)


ですので、メジャー度はさておき、「古くからブログをやっている人間」であることは間違いありません。
10年以上「はてなの歴史」を眺めてきました。
ブックマークコメントで罵声を浴びせられ、はてなを批判していた時期もあります。


参考リンク(2):『はてな』はサービス業失格(琥珀色の戯言)


我ながら、青いというか、黒歴史というか……
まあ、いまはここまでの不満は抱いていないし、「はてな」を責める気持ちもありません。
むしろ、「長年お世話になってます」というくらいのもので。


最近は、当時ほど罵声を浴びせられることもなくなりましたしね。
それは、ブックマークする側が上品になったのか、「こいつはもう、何を言ってもわかんなさそうだから、もう相手にするのやーめた!」と思ってくれるようになったのか。
あるいは、僕自身が、あまり酷いことを言われにくいような処世を身につけたのか。


たぶん、これが「スルー力」って言われるものだと思うのです。
僕は長年、傍流から「はてな」のブログの光芒を眺めてきました。
地味にずっと続くブログがあれば、数カ月くらい大人気を博した末に、大炎上して消えていったり、理由はわからないまま更新が止まってしまったものもありました。
コメントやブックマークに対して誠実に対応するブログもあれば、無視を貫くブログもありました。
お金を稼ぎたい、というブログがあれば、金じゃないんだ、というブログもありました。


それでね、あらためて歴史から考えてみると「スルー力があるほど、長続きする」っていうのは、嘘なんじゃないか、と思うんですよ。
ブログを書くというのは、基本的に「別に意見を求められてもいないところに自分からズカズカ入っていって、好きなことを言ってドヤ顔をしてみせる」という行為なんですよ。
それをあえてやろうとする時点で、「おせっかい」というか「いっちょ噛みしないと、気が済まないめんどくさい人」の素養があるわけです。
で、そうやってブログをはじめても、多くの人は、数カ月くらいで「そんなふうに自分に直接関係のないことに噛みついていっても、反応なんて無いし、何のトクにもならない」ことに気づき、去っていきます。
その一方で、「噛んでみた結果、罵声や中傷などを浴びせられ、まともに対応することに疲れ果ててドロップアウトしていく」人もいるわけです。


結局のところ、ブログの世界で、長年生き残るのって、ふたつのタイプだけなんですよ。
ひとつは、いわゆる「プロブロガー」として、ブログを書くことが仕事に、収入源になっている人。
そしてもうひとつは、野次馬の一員として「いっちょ噛み」を続けることの無意味さに気づくほどの「スルー力」が無く、また、さまざまな反応に正面きって立ち向かうほど真面目でもない、という「奇跡的なバランスがとれてしまった人。
僕などは、まさにこの後者なのです。


スルー力」がないから、ブログが長続きしない、という印象が持たれがちなのですが、よく考えてみると、本物のスルー力を持っている人は、ブログという「リスクの割に得られるものが少ないもの」を続けないはずです。
お金になったり、宣伝媒体として役立っている場合は、別として。
むしろ、「スルー力があるから、ブログをあっさり止めることができた」のです。


お金にもならないブログを10年とか続けている人って、「中途半端なスルー力」と「世の中にいっちょ噛みしたい、というめんどくさい自己顕示欲」を、奇跡的なバランスで、ずっと併せ持っているのではないでしょうか。
褒めてるわけじゃなくて、難儀な人じゃないと、ブログを長年続けるのって、難しいだろうなあ、とつくづく思うのですよね。