いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

柳生一族の「究極の作戦」

 高野秀行さんの『世にも奇妙なマラソン大会』という文庫を読んでいたら、こんな話が出てきたのです。
 薬の治験のアルバイトに参加したときのエピソードの一部。

 もともと引きこもっていたし、世代もちがえば、仲間もいる若い連中に話しかける言葉もない。本棚に『子連れ狼』全26巻を見つけ、ベッドに寝そべって読んでいった。
 子連れ狼は面白かった。私は萬屋錦之介演じるドラマの「子連れ狼」が大好きだったが、ドラマが現先にひじょうじ忠実だったことを発見し、驚きもした。
 中でも印象的だったのは、拝一刀の敵である柳生一族の究極の作戦だ。大人数で向かっていっても、騙し討ちをしかけても、どうしても一刀を倒すことができない。そこで編み出した究極の作戦は、「拝一刀に関わる人間をすべて抹殺する」という凄まじいものだった。宿場町で一刀親子が宿に泊まると、彼らが立ち去った直後、柳生の手の者がその宿の人間をみな殺しにする。飯屋で飯を食っても、その後でみな殺し、道中で、大五郎に折鶴をくれた若い女の子も殺される。
「冥府魔道を生きる」と豪語する一刀もさすがに神経がもたず、人里離れた山に逃げる。食糧不足と神経衰弱になった一刀を柳生の必殺部隊が襲撃する——。
 劇画とはいえ、あまりにも惨いシーンの連続であった。この理詰めの虐殺はどんな忍術よりも理不尽だった。


 で、どうなるんだ拝一刀は?
 と聞きたくなってしまうのですが、高野さんはその話の結末までは書かれていません。
 主人公がやられるわけはないと思うのだけれど、どうだったのだろうか……


 世の中には、さまざなま惨い仕打ちがあるのですが、この「柳生一族の究極の作戦」は、読んでいるだけでいたたまれなくなってきます。
 おそらく、原作者の小池一夫さんによるものだと思うのですが、こんなこと、よく考えたな、というか、よく作品にすることができたな、と。
 こんなこと、頭の中で想像するだけで、いたたまれないじゃないですか。
 自分自身や身近な人への攻撃や災厄であれば、ある程度対応もできるし、仕方が無い、と思うところもあるでしょう(拝さんの仕事は「刺客」ですからね。そりゃ恨まれるに決まってはいる)。
 でも、こうして「無関係の他人も、自分に接触したというだけで殺されてしまうシステム」を作られてしまうと、どうしようもない。
 とうてい守りきれるようなものではないだろうし、無関係な人が犠牲になるというのは、自分や身内が害されるのとはちょっと違う「罪悪感」がありそうです。
 この作戦を実行するための問題点としては、実行部隊が、こんなことをする精神的負担に耐えられるかどうか、だとは思いますけどね。
 

 これ、本当に「理不尽極まりない作戦」なのですが、理不尽だろうがなんだろうが、殺されれば人は死ぬし、理不尽なだけに、相手に大きな精神的なダメージを与えられるはずです。
 それなら俺を殺してくれ……って、思うよね、きっと。