いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

あるラジオ番組の「ハガキとメール問題」

2014年3月9日の日曜日の昼下がり、車を運転しながら、山下達郎さんのラジオ番組『サンデー・ソングブック』を聴いていました。
僕はこの番組を欠かさず聴いている、というほどの熱心なリスナーではなく、けっこう長い間「この時間に車を運転してれば、この番組を聴く」という程度のゆるやかなリスナーなのです。


番組も半ばくらいのところで、達郎さんが、こんな話をされていました。
(達郎さんのトーク調で書きましたが、テープを起こしたわけではなく、車のラジオで聴いていた内容を思いだして書いたものです。だいたいこんな話でしたよ、という程度に読んでいただけると助かります)

 この4月から、消費税も値上がりする、ということで、ハガキの値段が上がります。
 52円……だったかな。
 それで、この番組、もう21年間続けておりますが、いままではずっとハガキでのお便りのみ受けつけておりました。
 ですが、これを機会に、メールでのリクエストやお便りを受けつけるようにしようか……と悩んでおりまして、先日、御意見を伺いたい、とお願いしたところ、たくさんお返事をいただきました。
 その結果、ほとんどのお便りが、「いままでのまま、ハガキだけでいい、メールは導入しないでほしい」というものでして。
 御意見のなかでは、メールにすると、お便りの数がすごく増えてしまって、わたくし(達郎さん)がこれまで21年間、この番組あてのお手紙に全部目を通していたのが、できなくなるのではないか、あるいは、わたくしの負担が大きくなりすぎるのではないか、というのがけっこうたくさんありました。
 まあ、ハガキでの御意見だけなので、当然「ハガキで送ってくれる人の意見」というバイアスがかかっていますので、今後、メールでも御意見を伺ってみたいとは思っています。
 若い人は、メールが良い、送りやすいというのは、あるでしょうし……

 
 そうそう、誤解されている方もいらっしゃるようですが、メールを導入するとしても、メールだけにするというわけじゃなくて、これまで通りのハガキ「も」続けていきますからね。


 何気なく聴いていたのですが、僕はこの番組のリスナーの「熱さ」に驚いてしまいました。
 ときどきしか聴いておらず、リクエストしたこともない僕にとっては、この2014年に「ハガキでの投稿のみ」という番組があるなんて……という感じで。
 「当然」メールも受けつけているのだろう、と。
 もちろん、長寿人気プログラムですから、ハガキのみでも、かなりの数のリクエストが寄せられているのでしょうけど。


 いやそれにしても、ハガキのみなんて、時代遅れだろ!と僕は最初思ったのです。
 リスナーの意見を聴くまでもないのに、と。
 ところが、この番組のリスナー、とくにリクエストを欠かさないような常連さんにとっては、「ハガキのみだからこそ、ハードルが上がり、投稿数も達郎さんが全部目を通せるくらいに絞られるし(といっても、大変な手間ではあるでしょうが)、平均的な質も上がる、番組内で読んでもらいやすくもなる」というふうに考えていたんですね。
 「ハガキのみ」だからこそ、そのハードルを超えられる熱意がある人間にとっては、達郎さんに近づきやすい。
 常連さんにとっては「ハガキを買って、手で書く(印刷する)手間を惜しむようなヤツは投稿する資格がない」。


 達郎さんは「メールもOKにすれば、若いリスナー、あるいは、常連以外の意見も入ってきやすくなるのではないか?」と考えておられるようにもみえました(聴こえました)。
 その一方で、頑なに「伝統」を重んじようとする、この番組の常連リスナーたちに、半ば呆れ、半ば感嘆されていたように思います。
 

 実際は「メールでもなんでもいいから、とにかく投稿してきてほしい」というラジオ番組がほとんどだと思うのですが、「ハガキのみ」というのが「誇り」になっている番組もまだあるんですね。
 そしてたしかに「ハガキのみに限定すること」は、かならずしもマイナス面ばかりではないし、「メールでもOK」にすることが、プラスに働くともかぎりません。
 ファンにとっては、自分が書いたハガキを、達郎さんが「必ず一度は手に取ってくれる」というだけでも、けっこう嬉しかったりするんだろうしねえ。


 これ、どちらがこの番組にとって「正解」なのでしょうか。
 僕は常連さんたちの気持ちはわかるのだけれど、そろそろ「メールもOK」にしても良いような気がするのですが。
 今回は導入しないとしても、いずれにしても近い将来にはメール投稿を許容せざるをえなくなるだろうし、それならば。
 ただ、現在も「こういう番組」が存在していて、まだ、僕が若かった頃に聴いていた番組のような「ラジオらしさ」が残っているという嬉しさを感じたのも事実なのです。

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