いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「ある卒業」について

参考リンク:卒業 - tapestry



これを読んで、僕はいろんなことを考えてしまいました。


夫婦であることからの「卒業」か……
このエントリには恨み言みたいなものはひとつも書かれていませんし、こうして送別会も開かれて、という経緯をみると、円満離婚だったでしょうね。


でも、あまりにもクリーンで前向きな言葉たちを読んでいると、僕のなかには「それでも、100%結婚生活に満足していたら、離婚という結論には達しないだろうな」という気持ちもわいてくるのです。
おふたりのことを「共通の目的をもって歩んできた夫婦」として、ある意味理想化してしまっていたところもあって。


具体的な原因について、あれこれ憶測することは失礼だし、直接の知り合いではない僕には、世間一般の「離婚の理由」しか思いつきませんが、それをあてはめる根拠も必要もありません。


うちは結婚生活7年目を迎えたのですが、その前にも、かなり長い間付き合っていたのです。
「ようやく結婚したの?」と言われるような感じで、お互いに、相手のことはある程度わかっている、と思っていました。


だけど、実際に結婚してみると、見えてくるものは、また違っていて。
どうしてあなたはまともに料理ができないの?って怒られると、「そんなこと、結婚する前からずっとそうだったのに、なぜいまさらそれをあげつらって怒り始めるんだ?」と苛立ちます。


昨日観た、山田洋次監督の『小さいおうち』という映画のなかで、松たか子さんが演じている主人公の平井時子が、女中のトキに、こんなふうに言うのです。


「最近、なんだかとてもイライラするの」


うーむ。
ああ、そういうものなのかな、と。
夫は、デリカシーに欠ける「戦争と仕事の話しかしない、昭和の男」なのですが、そんなに悪い人には、みえなかったのに。


僕はずっと、「結婚は人生の墓場だ」なんて酒を飲みながらクダをまく男が嫌いだったんですよ。
なら、結婚なんてしなければいいのだし、したのだったら、そんなことは言うべきではないだろう、と。
でも、自分がこうして結婚生活をおくっていると、なんだかとても、いたたまれなくなるときがあるのです。
同じ仕事をしていただけに、「この人は、本当はずっと仕事中心で生きていたほうが、幸せだったのではないか?」とも思う。僕より有能で、仕事への意欲もあったのだから。
でも、家に小さな子どもがいれば、それは現実的には難しい。
本腰を入れてやろうとすれば、定時に帰れるような仕事ではないし、急に呼び出されることだってある。


愛とかいろいろあるけどさ、人と人との相性にも、「友達だったらうまくいく」「恋人だったらうまくいく」ことがあっても、「夫婦としては難しい」「子どもがいる家族としては難しい」ということもあるのかもしれないな、とか。


村上春樹さんが、安西水丸さんの娘さんの結婚式に贈った、こんなメッセージがあります。

 かおりさん、ご結婚おめでとうございます。僕もいちどしか結婚したことがないので、くわしいことはよくわかりませんが、結婚というのは、いいときにはとてもいいものです。あまりよくないときには、僕はいつもなにかべつのことを考えるようにしています。でもいいときには、とてもいいものです。いいときがたくさんあることをお祈りしています。お幸せに。

みんなそんなものだよなあ、と、ちょっと安心します。
ただ、村上春樹さんは、子どもがいないからなあ、なんて思ったりもするのです。
子どもがいる場合、とくに、小さな子どもがいる場合「嵐が去るのを待つ」のは難しい。
小さな子どもというのは、「誰かが傍にいてあげなければならない存在」だから。


「子はかすがい」だなあ、と思います。
子どもがいれば、ずっとケンカしてもいられないから。
その一方で、「子どもがいると、距離を置いてクールダウンするのが難しい」と感じることもあるのです。

一日のうちで、あわただしい朝には「なんでこんなにイライラしているんだ……」と悲しくなって、こちらもイライラする。
夜、子どもが寝てしまって、ふたりでゆっくり話しているときには「なんのかんのいっても、長いつきあいだし、大事な人だよなあ」と、しみじみ思う。
そんなことの、繰り返し。


最近、いろんな本のなかで、「社畜にならずに、家族のための時間を」というのが推奨されています。
それは正しいのだと思うのだけれども、ただ、家族で過ごす時間を増やせば、それで良いのだろうか?
僕の周りには、職業柄か、ずーっと病院にいて、めったに家に帰らないようなワーカホリック系の人が少なからずいました。
ただ、一概に彼らの家庭が崩壊していたわけではなく、そういうパートナーの仕事に誇りを持って、サポートしようとする家族もいれば、「もうあの人はお金だけ稼いでくれればいい」と割り切っているような家庭もあります。
「仕事よりも家庭」なんて言いながら、浮気をしている人もいる。


そもそも、夫とは、父親というのは何なのか?
ちゃんと仕事をしている姿を見せるのも、親としての役割ではないのか?
仕事をしないと、食べていけないわけですし。


超亭主関白で、厳格な父親だった家から、向田邦子さんが育ちました。
僕は高校時代に向田さんのエッセイを読んで、ずっと考えていたんですよ。
こんなお父さんから、なぜ向田さんみたいな子どもが育ったのだろう?って。
いまになって考えてみると、向田さんは「古風な家庭できちんと躾けられたこと」と「その反動もあって、個人や自由について自分で悩んできたこと」のハイブリッドだったのかな、と。
親は子どもに影響を与えるのは間違いないけれど、結局のところ、子どもが自分で自分をつくっていくところがあるのでしょう。

id:reikonさんの文章のなかで、いちばん印象に残ったのは、

私は私の物語を、次の人生のステージで創り上げていきたいです。

という文でした。
何気ないようだけれど、もしかしたら、結婚生活のどこかで、「これは、近藤淳也の人生であって、私の人生ではないのかもしれない」というズレが生じてきたのかもしれません。
一緒に同じ夢を追い、パートナーとしてうまくやっているつもりでも、2人の人間が、まったく同じ速度で、同じ方向を目指している、ということは無い。
reikonさんも「自分の物語を創りたい人」だったからこそ、生まれてしまった「ズレ」だったのだろうか。
「あなたの夢が、私の夢」だという関係であれば、そういうことは起こらなかったのかもしれないけれど……


いちおう最後に書いておきますが、僕が離婚するってわけじゃないですよ。
とりあえず、現時点では予定はありません(「予定」するようなものじゃないでしょうけど)。
イライラして仕方がないときもあれば、やっぱり家族がいてよかった、と思うときもあり、その濃淡は、日々変わっています。
なんでそんな言い方しかできないのだろう?と思うこともあれば、「そう言いたくもなるだろうなあ」と申し訳なく感じることもある。
むしろ、最近は、一時期より落ち着いているので、こういうことを書けているところもあります。


別れるのも続けるのも、それぞれの「選択」でしかありません。
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているということではなくて。
結局のところ、それが「正解」だったかどうか決められるのは、その後の自分でしかない。
ただ、結婚というのは、それぞれが理想を追えば追うほど、そこから離れていってしまうこともあるのかな、とか、考えずにはいられないのです。

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