いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

彼は「友達には最高のギャラを支払うべきだ」と言った。

参考リンク:自分以外は、みんな金で動いてるに違いない史観 - Chikirinの日記


ああ、これは確かにそうだよなあ、と。
ネットスラングでいえば「ヤンが卿なら、そう思う」ってやつで(とはいえ、これは『銀河英雄伝説』を知らないと、何が何だか、という言葉ではありますが)、人って、あんまり意識していないつもりでも、案外「他人も自分と同じ価値観で動いている」あるいは、「自分は清廉だけれど、他人はもっと功利的な存在だ」と考えてしまいがちなんですよね。
もちろん、僕にもそういうところがあります。


それにしても「お金の問題」というのは、実に難しい。
世の中には「お金だけでは動かない、あるいは、動きたがらない人」というのは、けっこう多いんですよね。
医療業界なんて、給料が高くて仕事がラクなところに人が集まってもよさそうなものなのに、「やりがいがない」「一度ラクな仕事に慣れてしまったら、もうキツイところで働けない」なんていう理由で、「給料は安くてきつい職場」で働き続けている人も少なくありません。
まあ、最近は少しずつ「偉くなってもプライドを満たせるだけの話だから、条件が良いところで働いたほうが良いんじゃないか?」と思う人が増えてきて、みんな大学に残りたがらない、なんていう話も聞くのですけどね。


この「金で動かない」というのは、本人が自発的にやっている分には問題ないのですが、他人から「あなたは金で動かないよね?」と言われると、「オレを安く買い叩きやがって!」みたいな気分になりがちなのも事実です。


リリパット・アーミー しこみ篇」(中島らもわかぎえふ共著・角川文庫)のあとがきより抜粋(書いているのはわかぎ氏)。

中島らも氏が、劇団リリパット・アーミーを最初につくったとき、公演で儲かったお金をギャラとして団員に支払ったことの回想)

 彼(中島らも)は、友達には最高のギャラを支払うべきだとも言った。一度だけなら、友達にタダで仕事を頼むことは出来る。
 例えば、絵を描いている友達に「頼む、1回だけでいいから芝居の背景描いてくれへん?」と頼んだら、友達は引き受けてくれるだろう。しかし、毎回というわけにはいかない。彼にだって生活というものがあるのだから、自分の生活の糧となる仕事を押し退けてまではやってくれない。
 やってくれたとしても、いつまでもそんなことしてたら気まずいだけだ。みんないつかはプロになろうとしてるのだから、当然仕事として友達を雇うべきなのだ。
 と、いうようなことを親父(中島らも氏)は言った。

 以前、劇団『リリパット・アーミー』のことを若木ゑふさんが書かれた本のなかで、「今まで劇団をやってきて、チケットのノルマなどで手出しになるのが当たり前だと思っていたけれど、中島らもは、公演が終わったあと、団員たちに(わずかな金額とはいえ)ギャラをキチンと出していたのに驚いた」というのを読んだことがあります。あのジャイアント馬場さんが、全日本プロレスの社長としてずっと誇りにしていたのは、「一度もレスラーたちのギャラを滞らせたことがない」ことだったそうです。


 ある本で、ジャイアント馬場さん存命中の全日本プロレスについて、「馬場さんはとにかくケチだった。リングの上で『目録』を渡されても、本当に紙だけで、中身がないこともあった」なんて話も読んだのですが、それでも「ちゃんとギャラを払う」というのは、所属レスラーたちにとっては大きかったようです。
 けっこう「どんぶり勘定」がまかり通っていた業界のようですし。


 『なんでも鑑定団』でおなじみの中島誠之助さんは、著書のなかで、こんなエピソードを紹介されています。

 新しい「からくさ」をつくったときに、これはチャンスだと思いました。年配の知人に、名曲『ここに幸あり』を作った飯田三郎さんという作曲家がいました。彼は骨董が好きで、よく私の店に来ていましたので、『南青山骨董通り』という歌を作詞するから曲を付けてくれと頼んだら、二つ返事で引き受けてくれました。大先生に臆面もなくよく頼めたものだと、今思うと恥ずかしくなります。
 それで曲ができあがり、飯田さんに御礼をしたいと申し上げたら、謝礼なら何百万にもなるからいらないと言われました。これがいまだに私の心の基本になっています。おカネをいただくならきちんといただくが、いらないとなったら絶対いただかないという、私のスタイルはこの時できました。


アンパンマン』のやなせたかし先生は、地方自治体などからキャラクター制作を頼まれて、よく「無料で」引き受けていたそうです。
それならみんな、やなせ先生のところに頼みにいきそうなものですが、案外そうもならないものなんですね。(もちろん、まったく面識もつながりもないところからの依頼は断っていたのかもしれませんが)


これらの事例をみていくと「人はお金だけで動くのではない」というのは、たしかにその通りだと思うのです。
とくに「お金に困っているわけではない人」や「プライドが高い人」の場合は。
むしろ「報酬が介在すること」によって、相手に「雇われる」立場になるのを嫌がることもあります。
「友達だから、安く買い叩く」というのは、最悪の選択になりえるわけです。


「友達だから、タダでいいよ」という「善意」っていうのは、基本的には「やってあげる側」から自発的に発動されるものであって、「あなたはお金があるのだから、タダでやってよ」あるいは「友達だから、タダでやってよ」と頼むのは、関係をこじらせるか、あるいは、一度だけなら許される「例外」なんですよね。


「お金で動く人ばかりではない」からこそ、お金には、きちんとしておくべきである。
ただし、中途半端に「御礼」をするくらいなら、「借り」にしてしまったほうが良い場合もある。
こういう機微は、本当に難しくて、僕もわかったようなことは言えないのですが、これらの実例は、知っておいて損はしないと思います。



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