いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ブログと広告

参考リンク(1):【悲報】はてなブログのせいで「アフィ収入が半減」していたことが判明 - 大彗星ショッカーのヒマつぶし2


参考リンク(2):ブログはもっと儲かってもいいが、誠実さが無いと嫌われる - あざなえるなわのごとし


参考リンク(3):スマホのうざい広告と、読み手あっての「ブロガー」ということ - レールを外れてもまだ生きる - 派遣OLブログ



参考リンクを読んでいただければだいたいの流れを理解していただけると思うのですが、いちおうかいつまんで説明しておくと、「はてなブログスマートフォン版はブログを書いている人がレイアウトを変えるのが困難なため、広告を効果的に表示することが難しいのでなんとかしてほしい」という人がいて、それに対して、賛成する人もいれば、「観る側にとっては、広告がドーンと出てくるようなブログは不快だ」という意見もある、というところです。


本題に入っていく前に、僕自身の「ブログでのお金稼ぎ」に対するスタンスを書いておきますね。
僕はけっこう長い間、Amazonアソシエイトを利用しています。
ですから、僕のブログで紹介されている本やDVDなどの商品をクリックしてAmazonで買っていただくと、僕にもいくばくかのお金が入ることになっています。
いろんな条件があって、一律ではないのですが、1000円の本だと、30円くらいが平均。
著者印税が100円くらいなのに、紹介するだけの人間が30円ももらっていいのか?としのびないところもあるのですが、それで著者印税が減るわけでもないので、ありがたくいただいております。
ただし、そんなにものすごく儲かる、とか食べていける、というものではありません。
それでも、月に10冊新刊書が買えるくらいなので、かなり助かってはいます。


個人的には、Amazonアフィリエイトをやっていていちばん楽しみなのは「ある本を紹介して、実際にどのくらいの人が興味を持ってくれたのか」がある程度わかるところなんですよね。
やっぱり、「これ面白いですよ」って紹介したものを買ってもらえると嬉しい。いや、別に僕のところで買ってもらえなくてもいいのです。近所の書店で買ってくれても嬉しい。ただ「反応」を知りたい。
「読書感想」というのは、人様がつくったコンテンツがなければやっていけないので、少しでも「お返し」ができればいいなあ、と思っています。
だから、ときどきある「例外」(ものすごく話題になっている本、とかですね)を除けば、ある程度はおすすめできるもの、を紹介するようにしています。


僕は「ブログからの収入が10倍になるけれど、読んでくれる人の数が10分の1になる」という取引を持ち掛けられたら、断固拒否します。
もちろんお金は欲しいのだけれど、今の僕にとっては「読んでもらうこと」のほうが大事で、日々の活力になっているので。
広告についても、「自分で紹介したいもの以外を、ベタベタ貼る」というのはイヤなんです。
以前、Google AdSenseを試してみたことがあるのですが、性に合わなくて、すぐに外してしまいました。
自分が見る側として、「なんか感じ悪いな」と思うようなものは、なるべく避けたい。
それは「少しでも多くの人に気に入ってもらって、読んでもらうための僕なりの主張であり計算」でもあります。
それでもこのくらいしか読んでもらえていないのですけどね、悲しいことに。
ちなみに、こちらのブログは『はてなブログ』の無料版なので、無料版のデフォルトの広告が表示されています、ご容赦を。


他のブログ主に、僕のそういう考えを強要するつもりはありません。
僕はブログで稼がなくてもとりあえず食べていけるので、「趣味+ほんの少し実益」というスタンスでやっていけるのですが、ブログで食べているような「プロブロガー」たちは、生活がかかっているのだから、少しでも稼げるように(犯罪ではないレベルで)工夫するのはやむをえない、とは思うので。


昨日読んでいた『成長から成熟へ』(天野祐吉著/集英社新書)のなかで、こんな広告が紹介されていました。
DDB」というフォルクスワーゲンの広告などで有名な広告代理店が、1969年に出した広告だそうです。

 私たち広告の作り手は、広告で人びとをひっかけることができると思いこんできた。だが、それはとんでもない間違いだ。私たちは、いついかなる時でも、いついかなる人をもだますことなどできない。この国は、知的水準の高い国だ。それなのにほとんどの広告は、知的な人びとを無視してきた。その結果として、いまやほとんどの広告は知的な人たちに無視されているのだ。
 広告だけじゃない。ほとんどの製品も、これといった特長もなく、また改良の努力も怠っている。こんなことを続けていたら、私たちは早晩、死ななければならないだろう。もしいま、広告づくりや製品づくりのあり方を思いっきり改革しなければ、そのうちに消費者の無関心という大波が、私たちが作りだしているタワゴトの山に襲いかかる。その日こそ、私たちの最後の日だ。
 その日、私たちは私たちの市場で死ぬ。私たちの製品棚の上で。空虚な約束を記したメッセージの中で。物音もなく、すすり泣きもされず。
 しかしそれは、私たち自身の汚い手が引き起こしたことなのだ。

こういう議論が、半世紀も前から行われている、ということに僕は驚いてしまいました。
ここから45年間、なんのかんの言われながらも「広告」は生き延びてきているので、「消費者は、無関心ではいられない」ということなのかもしれません。
しかしながら、このメッセージから45年経った現在こそ、まさに「いまやほとんどの広告は知的な人たちに無視されている」のではないでしょうか。


いまのインターネットの世界での「広告」の嫌われかたと言ったら!
考えようによっては、テレビ番組を観たり、雑誌を買って読んだりするのも「そのメディアと広告会社を儲けさせている」のですよね。
でも、テレビで「またCMかよ!」と愚痴るくらいのことはあっても、「CMなんて無くしてしまえ!」と言う人は、ほとんどいません。
CMがないと、NHKのように視聴者からお金を徴収しないと、やっていけないことはみんな知っています。
そして、観る側にとっても、「CM」というのは、邪魔だな、と感じる一方で、けっこう楽しみだったりもするわけで。
昔録画した番組を視ていると、当時のCMのほうが、番組そのものよりも面白かったりもするんですよね。
まさに「時代を映す鏡」のような役割を果たしていて。


そもそも、これだけ品物やサービスが多種多様になってきた世の中では「広告ウザイ」と思う一方で、全く広告というものがなくなったら、何を基準に買うものを選べば良いのだろうか?、と悩みまくってしまうのではないでしょうか。
食べものや服ならともかく、洗剤とか化粧品なんて、CMがなければ「口コミ」しかないかもしれない。


新聞やテレビなどは「広告が収入の柱であるメディア」です。
インターネットも「ユーザーがコンテンツ提供者に直接お金を払ってくれるビジネスモデル」は、かなり苦戦しているようにみえます。
ネットの世界では、あまりにも「無料」が一般的になりすぎていて。
となると、「広告収入」に頼らざるをえないのだけれども、ネットユーザーのなかには「広告そのものへの嫌悪感」をあからさまにしている人が、少なくありません。
おそらく、大部分の人は「広告の存在なんて意識もしていないし、積極的にクリックすることもない」のだとは思われますが。


けっこう、怪しげな広告が目立つような気もしますしね、ネットの場合。
とくに、怪しげなサイトには、怪しげな広告が多い印象があります。


いま、インターネットでの広告は、かなり一般的なものになっていますし、業種によっては、検索対策が非常に重要になっているのも事実です。
でも、個人サイトに表示される「1クリックされるごと、あるいは1契約ごとに○円」というようなタイプの広告に、本当にその費用に見合った効果があるのでしょうか?
「スポンサーの広告を大きく表示して目立つようにし、クリックされやすくする」というのは、「一発芸」として、短期的なブログ主の収入アップには、効果があがると思うんですよ。
目立ったほうが、(誤って、というのも含めて)クリックされやすいのは確かだろうし。


ただ、そういう「過剰に目立たせないと、クリックされないような広告」あるいは「ブログ主の手練手管で、誘導されてクリックされた広告」は、広告主にとっての「結果」につながるのでしょうか?
 

おそらく、そういう方法でクリックしたユーザーは「なんだこれ、オレを引っかけようとしているのか?感じ悪いなあ」と、そのブログにも広告を出している会社にも不快感を抱くでしょう。
もちろん、その会社の商品をそこで買ったり、何かの契約をしたりはしないはずです。


短いスパンでいえば、「クリック数が増えれば、そのブログの収入が増える」のは間違いない。
でも、長期的にみれば、そういう「テクニックでクリック数を水増しする手法」は、「インターネット上での広告の効果を、どんどん弱めていく」のではないかと思われます。
十分な効果が上がらなければ、クリック数のノルマはどんどん厳しくなるかもしれないし、もしかしたら、広告主から「もうネットに広告は出さないほうがいい」という判断が下されるようになるかもしれません。
あるいは、「ちゃんとした広告主は、ちゃんとしたサイトでしか広告をしない」。
(これはもう、かなりそうなってきているような気もします)


あくまでも僕の見解ですが、個人でやっている「プロブロガー」レベルで、クリック型などの広告でずっと食べていくのは、難しいのではないでしょうか。
「ずっと」というか、そのやり方が通用する期間は、もうあと何年か、くらいかもしれません。


ネットユーザーも、少しずつ「リスク意識」は高まっていますから、ネット上で偶然見かけた広告を、「面白そう」とクリックするような人は、どんどん減ってくると思います。
「ネット上の広告」というだけで、毛嫌いしている人も多いのだから。


ただし僕は、「もうネットでは食えない」とも思ってはいないのです。
『「Chikirinの日記」の育て方』のなかで、人気ブロガーのちきりんさんが「これはいい!」と薦めた電気毛布が、数千枚(!)も売れたという話が出てきます。
買った人の多くは、この電気毛布の実物を見たことも触ったこともないと思われます。
にもかかわらず、ちきりんさんが紹介しただけで、こんなに多くの人が購入したのです。


こういう時代で、広告が溢れているからこそ、みんな「何を買っていいのか」迷っているんですよね。
テレビやネットで何かを薦めている人は、みんな「ステマ」(ステルスマーケティング:広告に見えないような形で、商品を宣伝すること)をやっているんじゃないか?と疑心暗鬼になっている。


ちきりんさんは、「アクセス数を稼ぐテクニック」で電気毛布を売ったのではありません。
多くのネットユーザーが「ちきりんさんが薦めるものなら、信頼できるのではないか」と判断したから、売れたのです。
もちろん、アクセスの母数が大きくなければ、成り立たない手法ではありますが。


これから「プロブロガー」として生きていこうという人に求められるのは、「いかにして広告バナーを見ている人にクリックさせるか」ではなくて、「どうやって、ユーザーに『キュレーター』(ものの価値判断をする人)として、信頼してもらえるか」じゃないかと思うのです。


「お前は、ちきりん信者かよ!」と仰る方もおられるでしょう。
そういう人は、糸井重里さんのことを思い浮かべてください。


参考リンク(4):『ほぼ日刊イトイ新聞:目次』


糸井さんは、いまの日本で、「広告」にもっとも精通している人のひとりでしょう。
その糸井さんが、自らのサイトのトップページには『自分のブランドの商品』と『支援している気仙沼のメーカー』へのリンクしか貼っていないのです。
あれだけの大きなサイトであれば、トップページにスポンサーとして企業バナーを貼れば、かなりの収入になるはずなのに。
そういう申し出だって、これまでに少なからずあったはず。


糸井さんも、「いまのネットのなかで、いちばん『売り物になる』のは、糸井重里自身への信頼なのだ」と考えているのではないでしょうか。


実際に儲けてもいない僕が、こうして偉そうに語ることそのものが無意味なんじゃないか、という気もしますが、長年ブログをやって、見てきた人間として、思うところを書いてみました。


2ちゃんねるまとめ系」みたいな膨大な数の人が来るところでもなければ、個人ブログレベルで食べていけるくらい稼ぐには、目先の利益に飛びつかずに「信頼を得ていく」しかないと思うんですよ。
遠回りのように見える道が、たぶん、いちばんの近道なんじゃないかな。



「Chikirinの日記」の育て方

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