いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕がいちばん苦手な「サービス」の話

昨夜、床屋に行った。

安いのと早く終わるのと夜までやっているのが売りの(その一方で「丁寧さ」は期待すべきではない)床屋をよく利用しているのだけれども、隣の席から、床屋のおばちゃんの大きな声が聞こえてきた。

「そう!○○に住んどるですか! うちからも近いですね! お仕事は何ばしおっとですか?」

ああ、あっちの人に当たらなくてよかった……

そもそも、ここは「そんな床屋」じゃないはずなのに。

 

ほんと、僕は床屋というやつが苦手なんですよ。

(こちらのエントリ参照)

こういう「クイック系の床屋」を利用しているのも、とにかく、「あれこれ詮索されたり、世間話をするのが苦手」という理由が大きいのです。

こういうおばちゃんって、「おしゃべりするのがサービス」だと思いこんでいるから、困ってしまう。

とはいえ、「黙っていてください」とか言ってきまずい空気になるのもイヤだし。

結局、話を合わせて愛想笑いとかして、あとでそういう「NOと言えない自分」に嫌悪感を抱いたりして。

ああいうところでは、「コミュニケーションは最低限にして、さっさと髪を切るだけする」というのも「サービス」じゃないのかな……

 

 セルフのガソリンスタンドで給油をしているときに、店員さんが話しかけてきて『点検しましょうか』とか『うちのカードをつくりませんか』とかいうやりとりをしなければならないのも、つらいんですよね。

商売上、そうやって売上を伸ばしたいのはよくわかるんだけど、セルフの良いところは、安いのとそういうやりとりを避けられるところなんだけど、僕にとっては。

 

そういえば、以前行ったステーキハウスのランチで、熱い鉄板の上に生のステーキ肉が載せられて出てきて「当店では、お客様の好みの焼き加減で召し上がっていただくサービスをしています」って言われたときも、なんだかなあ、と思いました。

好きに焼きたければ、焼肉屋に行くよ……

それは「サービス」じゃないだろ……

 

 

提供側が「これがサービスだ!」と思っているものと、受けとる側が「この店にはこういうサービスを期待している」というものの間には、けっこうギャップがあるものですよね

「放っておいてくれることを期待して来ているのに、中途半端なコミュニケーションをとってくる場合」もあれば、「プロの技術を期待しているのに、お客に『自由にさせる』ことがサービスだと思いこんでいる場合」もある。

 

 

ちなみに、僕がいちばん苦手な「サービス」って、コンビニとかで、若い女の子の店員さんが、お釣りを渡すとき、わざわざお客さんの手をギュッと握ってくれるやつです。

 

 

「うわー、この子いま、内心『なんで私が仕事とはいえ、こんなオッサンの手とか握らないといけないの、あーやだやだ、仕事ってつらいわー、このあとすぐに手を洗って消毒しなきゃ』って、思っているんだろうなあ。そんなことやらなくていいのに……というか、僕はそんなことしてほしそうなエロオヤジに見えているのか?ごめん、もうこの店には来ないようにするから……ほんと誰がこんなことやらせてるんだ、責任者出てこい!」

 

 とか、手を握られながら考えてしまい、一刻も早く手を振り払ってその場を立ち去りたい気分になってしまうのです。

 ほんと、あれやめてほしいよ……普通にお釣り渡してくれればいい、というか、そうしてください。

 nanaco便利ですよね実に。それでもレシートだけなのに「ギュッ」をやろうとする人もいてときどき困るんだけど。

 

 こんなことを書いている一方で、若い女の子の店員さんが、いかにもイヤそうに、手が触れないようにお釣りをちょっと離れたところから僕の手のひらの中に落としてくると、それはそれで少し傷ついていたりもするのですけどね。

 

 

 苦手なのは、特定のサービスというより、ふとした瞬間に自意識と向き合うこと、なのかもしれません。

 

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