いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「馬鹿、子どもにとっては自分の親が普通だ」

いま、『一度、死んでみましたが』という神足裕司さんの本を読んでいます。
2011年9月に重度のくも膜下出血を発症し、長い入院生活を経て、現在もリハビリを続けられている神足さん。
今回の新刊を読みながら、以前、神足さんがこんなことを書いておられたのを思いだしました。



週刊アスキー・2007/7/17号」の「Scene2007」(文・神足裕司)より。

(神足さんが、嵐山光三郎さん、南伸坊さんと2007年2月に亡くなられた渡辺和博さんを振り返って)


 ふたり(嵐山さん、南さん)は言った。
 ナベゾは天才だった。
 私は知らなかった。渡辺さんの初期の作品で、小学校の校庭で鉄棒の逆上がりをしたとき、逆さまになった風景を描いたことを。
 嵐山さんはそれを見て、すごいやつが現れたと唐十郎さんと話したと言った。
 見開き一面を使った小学校の校庭の絵は逆さまだった。
 空を飛ぶ飛行機の「ブーン」というネームが逆さま、つまり読者から見て正しく表記されてなければ、天地が逆に画稿を入れ間違えたと思われる。
 逆さまから見ていたんだ、と両者は納得されていた。
 ふたりの話と、私の話もさかさまだった。
 私がとうとう内定をもらえないで大学4年の冬を迎えたとき、就職しなければダメだと渡辺さんは言った。いつもしっかり断定する人だった。
 たとえば、と渡辺さんは電話の受話器を握る真似をした。
「作家から原稿をもらえんときは、こうやって受話器を握ったまま黙って時計の針が半回転するのを見るんで。こりゃ、会社に入らにゃ、教えてもらえんで」
 そーか、それが大人の世界かと私は小さな編プロへ就職した。

(このコラムの欄外に書かれていた神足さんの思い出)

 昔、私のようなフリーライターの子どもは……、と渡辺さんに相談したら、「馬鹿、子どもにとっては自分の親が普通だ」と叱られた。渡辺さんが結婚したとき、会費は1250円。嵐山(光三郎)さんから教わった。


 1984年に出版された『金魂巻(キンコンカン)』という本で「○金」(まるきん)「○ビ」(まるび)という流行語を生み出した渡辺和博さん。神足さんにとっては「師匠」にあたる方になるそうです。
 僕がハッとさせられたのは、欄外に書かれていた渡辺さんの言葉でした。
 良くも悪くも「フリーライター」という職業を「特殊なもの」だと意識していて、それが子どもに及ぼす影響について不安を感じていた神足さん。
 そんな弟子を「子どもにとっては自分の親が普通だ」と師匠は叱ったのです。
 確かに、言われてみればその通りなんですよね。
 どんなに親が世間一般からみれば「珍しい仕事」をやっていたとしても、子どもにとっては、それが「普通」というか「自分にとっての基準」になってしまうのです。
 だからこそ、親が自分の職業に対して過度に卑屈になったり、傲慢になったりすると、子どもにも悪影響を与えかねません。


 この渡辺さんの言葉って、いろいろと考えすぎてしまう僕のような人間には、すごく「心に響く」ものだったのです。
 神足さんにとっても、きっとそうだったのではないでしょうか。
 逆に「どんなに平凡な人間でも、その人の子どもにとっては特別な存在である」というのも事実なのですけど。

 そういうのって、子どもの頃はみんなわかっていたはずのことなのに、自分が大人になってみると、すっかり忘れてしまっているような気がします。ここで紹介されている「逆さまの風景」の話を読むと、渡辺さんというのは、ずっと「子どものときに自分が感じていたこと」を忘れないで生きてきた人なのでしょうね。


 世の中には、人間の数だけ「普通」がある。
 でも、大部分の人は、自分の「普通」が、共通基準なのだと思い込みがちです。
 もちろん、「人間を食べる文化がある」とか「女性は強姦の被害者でも姦通罪で死刑」みたいな文化の「普通」も「人それぞれ」と、おおらかに受け入れる、というわけにはいかないだろうけど、だからといって、自分の「普通」をどこまで押しつけることが許されるのか?
 そういう大きな話になると、かなり難しいところはあるのですが、「他者には他者の『普通』がある」ということは、つねに意識しておいたほうが良いのだと思います。
 
 
 争いは「普通」と「異常」のあいだに起こるのではなくて、大概「普通」と「普通」のあいだに起こるのだよね。


一度、死んでみましたが

一度、死んでみましたが

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