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いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

三浦しをんさん、良いじゃないですか。僕も好きですよ。

参考リンク(1):ファッションで読書をする女子→ 「最近読書にハマってる~(*′∀`*)」 - たぬき系女子、里に帰る。


参考リンク(2):上記エントリのブックマークコメント



参考リンク(1)を読んだあと、ああこれは反発がありそうだな、と思っていたら、やはり、ブックマークでの反応は、けっこう厳しいものが多いようです(参考リンク(2)参照)。
まあ、「読書」って、本当に人それぞれですからね……僕としても「売れているから、という理由で村上春樹さんを槍玉に挙げられるのはかなわんなあ……」とは思ったのですが、こういう「無闇な上から目線」みたいなものも若者の特権ってやつだろうな、という感じです。


で、この話の流れだと、致し方ないのかもしれませんが、三浦しをんさんが、はてなの読書家の皆様から、けっこう軽んじられているのが悲しかったので、このエントリを書いています。
僕は好きです、三浦さん(の作品)。
『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞されたときには、「なぜこの作品?」そして、なぜ三浦しをん?血統評価か?などと思ったのは事実です。
でも、ずっと三浦さんの作品を読んできて、あの時点で直木賞をあげたというのは、いつも「なぜ前回あげなかったの?」と言いたくなるような(例:浅田次郎さんの受賞作『鉄道員』、前回のノミネート『蒼穹の昴』)、直木賞の選考のなかでは、珍しい「正しい先行投資」だったのではないかと感心しているくらいです。


非モテ、漫画(とくにボーイズラブ)大好き、という三浦さんのキャラクターからは、どうしても「サブカル系の、腐女子が喜びそうな、わかりやすいだけの小説」のイメージがつきまとってしまうのかもしれませんが、侮れませんよ、三浦しをん
恋愛から、スポーツ、職業モノ、SF、書評まで、実に守備範囲が広くて、よく調べて書かれています。
そして、エンターテインメントとしての「熱さ」も忘れない。


とりあえず、三浦さんの作品のなかで、僕のオススメを3つ挙げておきます。
どれも「すごく面白い」ですよ。
三浦さんの場合は、文学賞を獲ったり、映画化されたりしている作品以外のほうが、けっこう毒が含まれていたり、人間の暗黒面が書かれていたりして、魅力的だったりもするんですよね。



・風が強く吹いている

風が強く吹いている (新潮文庫)

風が強く吹いている (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
箱根の山は蜃気楼ではない。襷をつないで上っていける、俺たちなら。才能に恵まれ、走ることを愛しながら走ることから見放されかけていた清瀬灰二と蔵原走。奇跡のような出会いから、二人は無謀にも陸上とかけ離れていた者と箱根駅伝に挑む。たった十人で。それぞれの「頂点」をめざして…。長距離を走る(=生きる)ために必要な真の「強さ」を謳いあげた書下ろし1200枚!超ストレートな青春小説。最強の直木賞受賞第一作。

僕はこの本を読んで何度も涙がこぼれそうになりましたし(というか、ちょっと泣いた)、読み終えて、「なんてベタな『青春スポーツ小説』なんだ……」と苦笑しながらも、「いい小説だし、読んでよかったなあ」とも思いました。


この『風が強く吹いている』で寛政大が起こした「奇跡」が、いまの箱根駅伝で実際に起こる可能性は皆無でしょうし、書いた三浦しをんさんも、そんなことは百も承知のはず。しかしながら、フィクションには、フィクションでしか描けない感動があるのだ、ということなんですよね。そして、三浦さんは、ディテール(箱根のコースの特徴や大学陸上のシステム、走っている人の心の動き)には極力リアリティを追求した上で、この「壮大なスポーツ・フィクション」を書き上げています。僕のイメージでは、「三浦しをん」という作家が「スポーツ」を正面から描くなんてかなり意外だったのですけど、実際に競技者ではない人間だからこそ書ける「美しさ」っていうのはあるのかもしれません。臨床医が描く小説に「スーパードクター」が出てこないのと同じように。



舟を編む

舟を編む

舟を編む

内容(「BOOK」データベースより)
玄武書房に勤める馬締光也。営業部では変人として持て余されていたが、人とは違う視点で言葉を捉える馬締は、辞書編集部に迎えられる。新しい辞書『大渡海』を編む仲間として。定年間近のベテラン編集者、日本語研究に人生を捧げる老学者、徐々に辞書に愛情を持ち始めるチャラ男、そして出会った運命の女性。個性的な面々の中で、馬締は辞書の世界に没頭する。言葉という絆を得て、彼らの人生が優しく編み上げられていく―。しかし、問題が山積みの辞書編集部。果たして『大渡海』は完成するのか―。


僕は三浦さんの小説を読んでいると「仕事や趣味に夢中になっている人たち」を描くときの情熱と比べて、「恋愛」を描くときは淡白だよなあ、と感じます。

登場人物がドロドロの愛憎劇を繰り広げたり、恋人が理不尽なワガママを言い出すことはあまりなく、けっこうあっさりと「成就」してしまう。

「そんなにあっさりうまくいくわけないだろ……」って、言いたくなってしまう。

書い手の「恋愛を描くことへの熱意」も、あんまり伝わってこないんだよなあ。

僕個人としては、「戦争映画に無理やり有名女優をキャスティングするためにつくられた不自然な存在のヒロイン」みたいで、あまりこの作品の女性たちは好きではないのですけど。

もしかしたら、三浦さんは、こういう「現実ではうまく恋愛するのが難しそうな人」たちを、自分の作品のなかだけでは幸せにしてあげたいのかな、とも思うのです。



*天国旅行

天国旅行 (新潮文庫)

天国旅行 (新潮文庫)

君が望んでも、まだ「終わり」にはさせない。生と死を見つめ直す、「心中」をめぐる七つの短篇。
もう一度、立ち止まり、君と問いたい。そこは楽園なのかと――富士の樹海に現れた男の導き、命を賭けて結ばれた妻への遺言、前世の縁を信じ込む女の黒い夢、死後の彼女と暮らす若者の迷い、一家心中で生き残った男の決意……この世とあの世の境目で浮かび上がる、愛と生の実像。光と望みが射し込む、文句なしの傑作短篇集。


人間って、つくづく薄情で、移り気なものだと思う。
人間の「死」というのは崇高なものだと僕たちは教えられてきたし、それはひとつの「聖域」みたいなものだけれども、現実に生きていると、その「死」ですら、忘れられたり、飽きられたり、簡単に誰かに利用されたりしてしまう。
そして、そんなことを考えては、自己嫌悪に陥ってしまう。


結局、失われたものは返ってこないし、大切な人の死による欠落を埋めることは、誰にもできない。
それが可能であるような「再生の物語」が世界には溢れているけれど、生きている人間には「埋めること」ではなくて、「その欠落を何かで覆い隠して、なるべく思い出さないように、しまっておくこと」しかできない。
三浦さんは、そのことを、そのままこの短編集で書かれていて、とくに『SINK』は、読み終えて、僕も一緒に沈んでしまいました。
でも、少なくとも自分の周囲の人たちには、この短編の主人公のような思いをさせたくない、させてはいけない。


「自分の大切な人の死」と「そうでない人の死」の間には、どうしてこんなに大きな壁があるのだろう?
それは、どちらも「ひとりの人間の死」のはずなのに。
僕は、ちょっとファンタジックで残酷な『星くずドライブ』がいちばん好みでした。

「まさかと思うけど、おまえ、死んだのか」

 僕が問うと、香那は首をかしげた」

「うーん、自分でもよくわかんない。けど、そうみたい」

「いつ!」

「昨夜、かな。あんまり覚えてない」

「俺の家に来たときには、もう死んでたんだな?」

「たぶん」

 頭がおかしくなりそうな会話だ。すでにおかしくなっているのかもしれない。

かなり「重い」短編集なので万人に薦められる、というわけにはいかないのですが、これを読んで興味を持たれた方は、ぜひ。



僕は「読みやすい」「面白い」「売れている」「俗っぽい」という理由で作品や作家をバカにする人たちは「本が好き」というより、「素直じゃない」か「難しい本を読んでいる自分が好き」なだけだと思っています。


とはいえ、こんな物わかりがよさそうなことを書いている僕だって、「ライトノベルとケータイ小説と恋愛小説は苦手で敬遠している」ので、ロクな本好きじゃないんですけどね。
本に貴賤は無い、とは言うけれど、僕自身も、自分の心の中に、なんとなく「序列」をつくってしまっているのです。


もちろん「最大公約数的に『とりあえず教養として読んでおいたほうがいい本』というのはある」のだと思います。
「聖書」とか、ダンテの『神曲』、『源氏物語』、『カラマーゾフの兄弟』『百年の孤独』などは、そういう「読んでおくべき本」なのでしょう。
でも、僕もこれらを全部読んでいるわけじゃありません。
だいたいの人の「読書体験」って、けっこうイビツというか、「世界名作全集」を端から読んでいった、なんて人はほとんどいないはずです。
好きなものからとりあえず読んでいったら、この年齢にもなって、読んだことのない「名作」だらけ。
「好き」って、たぶん、そういうものなんだと思う。
だいたい「難しい本をいかに読んでいるか合戦」って、「学歴勝負」と同じようなもので、もう底なし沼ですよ。
「『カラマーゾフの兄弟』くらい、中学生で読まなきゃ!」
「じゃあお前は、『ユリシーズ』を英語で読んだのか?
「それなら、『神曲』をイタリア語で読んだのか?」


「オレ、早稲田だし」
「僕、東大文1です」
「東大なんて、世界のなかでは、いち地方大学だよ。私はハーバード卒」


まあほんと、キリがありません。


とりあえず、読めば読むほど、世の中にはいろんな本があって、人生には限りがあることを思い知らされます。
三浦しをんさん、良いじゃないですか。僕も好きですよ。
藤子不二雄A先生が「僕は自分の経験に基づいたことしか書けないけれど、藤本君(F先生)は、経験していなくても、自分の頭のなかで想像していろんなことを描けた。それは、天才にしかできないことなんです」と仰っていました。
非モテ」で、「スポーツが得意じゃない」三浦しをんさんが、あんなに素晴らしい心中小説や駅伝の話を描けるというのは「天才的」なことではないか、と思うのです。
というか、「現実での知識や体験が乏しいからこそ、先入観にとらわれずに描けるもの」っていうのもあるんですよね、ほんと世界って不思議だ。