いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

楽天・田中将大投手の「酷使」について

参考リンク(1):勝てば良いってもんじゃない。「マーも則本もわしが壊した」星野仙一 - kojitakenの日記


前置きとして話しておきますが、僕は広島カープファンで、巨人にも楽天に思い入れはありませんでした。ただ、率直なところ、「カープがCSファイナルで3タテを食らった、圧倒的に強い巨人があっさり負けると、じゃあカープは何だったんだ?という気分になるので悲しい」というくらいの「巨人しっかりしろ感」がありましたが。ただ、もともとアンチ巨人でもあるので、今回のシリーズの結果そのものは「まあ、いろんな意味で良かったんじゃない」と思っております。


長いエントリは嫌われるのですが、どっちにしてもちょっと長くなりそうなので最初に結論めいたことを書いておきますが、今回の日本シリーズについての僕の感想は、「とにかく巨人が打てなかったなあ」というのと「楽天のピッチャーで、星野監督に本当に信頼されていたのは、田中、則本だけだったのだなあ」ということでした。
巨人に関しては、シーズンを独走で終えて、CSファイナルステージを3連勝。
しかし、カープファン側からみても、CSファイナルの巨人打線は、お世辞にも調子が良いとは言いかねました。CSまでの実戦間隔も開いていたし、なんとなく感覚を取り戻せないまま、カープ打線の激貧打に助けられる形で(巨人の投手もよかったんですけどね、それなりに)、日本シリーズに駒を進めてしまった。エンジンがかからないまま、勝って日本シリーズに突入してしまったのです。
結果的には、カープがもうちょっとCSファイナルで抵抗してくれれば、巨人打線ももう少し日本シリーズで打てたのかもしれません。


それにしても、星野監督の投手起用はすごかった。
楽天が勝ったのは、2、3、5、7戦だったのですが、勝負が佳境に入った5戦目からは、5戦目の先発の辛島投手が5回を投げた以外は、マウンドに上がったのは田中、則本、美馬の3投手だけです。
大エース・田中将大は、6戦目に160球投げて4失点。昨年9月以来の公式戦負け投手になったにもかかわらず、7戦目の最終回にリリーフ登板していますし。
則本に関しても1戦目の先発、5戦目はリリーフで5回、7戦目もリリーフで2回投げています。
このふたりに関しては「酷使」であることは間違いないでしょう。
とくに田中将大に関しては、6戦目に敗色濃厚にもかかわらず、最後まで投げていますし、7戦目の最終回も「雰囲気づくり、思い出づくり」以上の意味があったのかどうか。
そして、こんな起用法をされたら、楽天の3人以外の投手陣、とくにリリーフ投手たちのプライドはズタズタだろうな、とも想像してしまいます。
いまのプロ野球は投手の分業制が確立しており、いくら大エースがいても、優勝決定の場面ではクローザーがマウンドに上がっている、というのが一般的です。
楽天の場合は、結局最後までクローザーが確立できず、それでも日本一になってしまったというのは、ある意味すごいことではあるのですが。


勝てば官軍、勝てば美談、というのも事実ではあります。
そして、星野監督と、田中投手は「酷使」を承知で、このシリーズを勝ちにいったのではないか、と僕は考えています。


参考リンク(2):マー君 神の連投 160球敗戦翌日に志願「もやもやしていた」(スポーツニッポン)

この記事のなかに、第6戦で負けた翌日の田中投手のことが書かれています。

前夜、第7戦について田中は「自分のできることをやりたい」と言った。この日は普段より1時間以上も早く球場入りし、マッサージを受けた。ノックを受ける際は「元気ある者から順番に並ぼう!」と一番前に立った。決してカラ元気ではなかった。本気の連投志願。先発マウンドに向かう美馬には「(第6戦で負けて)すみません。よろしくお願いします」と声を掛けた。9回のマウンドに向け、7回からブルペン投球を開始。何度も星野監督に「ほんまに大丈夫か?」と念押しされたが、決意は変わらなかった。

僕はあの第6戦で、160球を投げきり、疲れはてた表情の田中投手をみました。
そして、そのピッチングを見守った、楽天ファンのどよめきも。
これは最終回に「何か」が起こるのではないか、と感じていたのですが、そこをあっさり3者凡退に切ってとった巨人の山口、マシソンって本当にすごいなあ、とも思ったのです。
昔、横浜高校明徳義塾の試合で(この部分、横浜対PL学園、と誤記していました。お詫びとともに訂正します。はてなブックマークで教えたいただいたgntaさん、ありがとうございました)、明徳が大量リードのなか、前日投げていて登板予定がないはずの松坂大輔がマウンドに上がったことによってムードがガラリと変わり、横浜高校が追い付き、逆転した試合もみていたので。


そして、あの160球は、あれだけでは終わらなかった。
敗戦翌日も、田中将大は、仲間を鼓舞し続けたのです。
楽天の本来のプランとしては、6戦目に田中で決めるつもりだったはず。
田中が打たれて負けて、「ああ、やっぱり巨人か……」と僕は思いました。
ここで田中を打ち崩した巨人の底力は、やっぱり凄いな、と。


田中投手は、甲子園でも大活躍しています。
「勝負に勝つには、リスクをとらなければならない」こともわかっている選手です。
星野監督のこの起用が「酷使」であり、選手生命を考えるとリスクになることは百も承知のはず。
でも、ここで、ふたりの考えは、ブレなかった(というか、星野監督のほうが、より不安を感じていたようにすら思われます)。
あえていえば、今回のシリーズ終盤での田中投手の起用は、チームを鼓舞し、流れを引き寄せるための「戦略的酷使」でもあったんですよね。
正直、これが田中投手の選手寿命を縮めてしまう可能性は少なからずあったし、あるでしょう。
もしかしたら、近い将来「あれがなければ……」と語られることもあるかもしれません。
(そうでないことを願ってはいますが)
田中投手を止められるのは、星野監督だけであり、今後の人生のことを考えれば、年長者、監督が止めてあげるべきだったのかもしれません。
それでも、野球選手として、勝負の世界に身を置いていて、あの痺れる状況下で、「意気に感じる」のも当然のことだし、マウンドに上がっている以上「腕が折れても投げる」くらいの意気込みではあったと思うんですよね。


参考リンク(3):【読書感想】マウンドに散った天才投手(琥珀色の戯言)

マウンドに散った天才投手

マウンドに散った天才投手


この本のなかに、「悲運のエース」伊藤智仁投手のエピソードも出てきます。
伊藤智仁投手にかぎらず、この本に登場する「大活躍したけれど、怪我などで短命に終わった投手たち」は、弱音や「酷使されたことへの恨み言」をほとんど吐きません。


 読んでいて「もういいじゃないか」と言いたくなるくらい、著者が「『本音』を引き出すための誘導尋問」を繰り返しているにもかかわらず。

「みんなルーキーのときは同じように必死でやってますよ。ピッチャーはみんな自分の身を削って投げてます」


 酷使されたなんて思っていない。チャンスを与えられたから必死で投げる、ただそれだけ。自分の身を削って投げることはプロとして当たり前だ、なんでそんな質問をするんだ、とでも言いたげな口調で答える伊藤。


「今は球数制限が確立されてきたけど、当時は試合に勝つためにどのピッチャーを選ぶかということが優先され、平気で200球近く投げているピッチャーはいました。一番球数が多いのが193球。二試合分ですね。今では延長戦で投げるピッチャーもおらず、投げても7回まででしょ」


 200球近く投げさせられたことでさえ、あの時代はそうだったと納得している。むしろ、無理矢理納得しているようにも見えた。最後にまたしつこく質問してみた。


ーーまったく後悔はしていないですか?


「もうしょうがないですね。ヘタに手を抜いて二軍選手で終わるよりも一瞬でいいから活躍したほうがいい。プロ野球選手は一年一年が勝負ですよ」
 

 しょうがない……伊藤は何がしょうがないと言っているのだろうか。怪我したこと? それとも自分の思い通りに活躍できなかったこと? 現役を続けたかったこと? 一年一年勝負をかけての結果が、「しょうがない」ではけっしてないはずだ。


「もし怪我がなかったらとか考えたことがない。痛みがないときなどなかったので現実を受け止めて、この怪我とどうやって付き合っていったらいいか、どういうトレーニングをしたらよくなるかを試しながらやってました。これもピッチャーとしての野球人生だと思ってました」


僕もやはり「酷使されなければ……」「怪我がなければ……」って、思ってしまうのです。
でも、プロ野球の世界で生き残っていくために、「投げさせてもらえること」=「チャンス」なんですよね、本人たちにとっては。
「仕事」がないと、食べていけない。
そのために無理をすることはあるけれど、それでも「仕事がない」よりは、はるかにマシ。
いや、だからこそ、野村克也監督が伊藤智仁選手に対して後悔していたように「周りが考えてあげるべき」だったのかもしれません。
その一方で、監督やコーチだって、チームが成績を残せなければ「切られる」世界でもあります。
良いピッチャーを、なるべく多く投げさせたいはず。


「それでも、田中将大投手は、勝ちたかった」
これに尽きるのではないかと、僕は思っています。
実際は、第6戦であんなに投げなくても、第7戦で最終回にリリーフしなくても、楽天は勝っていたのかもしれません。
確率的には、たぶん、勝てていた可能性が高いのではないかと。
ただ、それはあくまでも「結果論」です。


おそらく来年はメジャーリーグにポスティングで移籍するであろう田中投手にとっては「ここで日本一という結果を残して、海を渡りたい」という気持ちがあったはず。
そして、今年のチームを顧みて「田中将大が抜ける(であろう)来年以降、楽天がこうしてペナントレースを制し、日本シリーズで戦えるか?」と考えた場合、「東北に日本一をもたらす最大のチャンスは、今年、そして今しかない」と星野監督も考えていたはずです。
だから、なりふり構わずに、勝ちにいった。
そしてそれを、楽天の選手たちも、ファンも、理解せざるをえなかった。


原監督は「常勝チーム」を率いているがために、選手のプライドとか、役割分担について、来シーズン以降のことも考えて「配慮」しなければならなかったような気がします。
最終戦、杉内投手の起用は「当たり前」ではあったのですが、第3戦の内容を考えると他の選択肢はなかったのか、あるいは、もっと早く見切るべきでったのではないか、とも思うのです(それこそ結果論ですが)。
でも、原監督は「巨人というチームの長期的展望やチームの和、格付け」などを無視するわけにはいかなかった。
田中将大のような、絶対的な存在がいなかった、ということもありますし。


僕はこの「世紀の決戦」をみながら、巨人と中日が同率首位で優勝をかけて最終戦で戦った、「10・8決戦」のことを思いだしていました。

参考リンク(4):【読書感想】10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦(琥珀色の戯言)

10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦

10・8 巨人VS.中日 史上最高の決戦


あの「10・8決戦」に敗れた、中日の高木守道監督は、こんなふうに述懐しています。

 この前日の10月7日の夜中、優勝用の手記の取材をしたいとやってきた中日スポーツのドラゴンズ番キャップ・館林誠に、高木はこんな話をしたという。


「今年は主力に故障者が続出して、ガタガタになった時期があった。そのときに助けてくれたのが、小森(哲也)や北村(俊介)といったほとんど実績のない選手たちだった。私は潜在意識でこの選手はこういう選手だ、と見限っていた部分があった。しかし、本当に困ったときに助けてくれたのが、一度は自分がダメだと烙印を押した選手たちだった。私は今年一年戦って、チームとはこういうものだ、ということを選手たちにあらためて教えられたと思っている」


 頑固で負けず嫌いな高木は、だから最後まで地味ながら陰でチームを支え続けた脇役たちを使い続けたのである。決して巨人のように派手ではない。しかしそれが今年の中日のスタイルであり、そのスタイルを貫き通そうとした。今中にかけ、今中が打ち込まれたときには、シーズン中に追いかける展開でチームを支えてくれた中継ぎ陣に固執し、いつも通りに起用した。


「後になって長嶋さんが三本柱を次々に投入するのに対して、あの継投はダメだろうとずいぶんとお叱りを受けました。ただ、あの年の中日はあの連中でつないできたシーズンだったんです。自分の中ではそうやってあの最終戦に漕ぎ着けたという気持ちもあった。だからそれでいこう、と……」


 だが、結果的にはそんな高木の采配は敗北した。


 チームを支えてくれた選手たちを思う気持ち、その優しさだけでは、勝負には勝てなかった。目の前にある優勝という果実を手にしない限り、どんな思いで選手を起用しても、それは失敗としてしか評価されないのだ。


「私の未熟さだった。いまはそのことを痛切に感じています」


「10・8決戦」から20年近くが経ったいま、高木はこのときの起用をこう総括する。


あのときの長嶋さんの継投を、今回は楽天の星野監督が行ったのが、今年の日本シリーズ第7戦だったのかな、と。
そして、原監督は、その執念に、ほんの少しだけ、気圧されてしまったように見えました。
東北のファンの熱気、日本中の「東北のチームに勝たせてあげたい」という空気も、影響したのかもしれません。


それに、田中投手に関しては、シーズン中、楽天で他に頼りになるピッチャーも少ないなかで、中6日できちんとローテーションを守られてきているんですよね。
カープファンの僕からすると、同じように今シーズンWBCがあり、コンディションが悪くてローテーションを飛ばしたりもしていた前田健太投手が、中5日中心、ときには中4日で起用されたことを考えると、田中投手の「勝負どころ限定での酷使」というのは、「危険ではあるけれど、そのリスクに見合うだけの価値がある酷使」だったのではないかと思うのです。


まあほんと、こればっかりは「価値観の問題」ではあるんでしょうけどね。
僕は今回の田中将大投手と星野監督については「見事に『賭け』に勝ったなあ」と感心するばかりです。


24勝0敗1セーブ。
たぶん、こんな成績を残すピッチャーは、今後の田中投手も含めて、僕が生きているあいだに、もう二度とみることはないでしょう。
バレンティンのホームラン記録といい、本当に「歴史に遺るシーズン」だったと思います。

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