いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ある中年男が「寂しいクレーマーおじさん」になった理由

参考リンク:寂しい人が小さく文句を言っていた - 続・鹿田内りなこさんのぺえじ


僕はこれを読んで、この「寂しいクレーマーおじさん」に、けっこう同情してしまったんですよね。
いや「哀れんでいる」というのではなくて、「この人と僕は似ている」と思うところがあって。


僕は基本的に「大きな声を出す」のが苦手です。
そして、存在感が希薄なのか、ひとりで飲食店に入ると、けっこう店の人に気付かれなかったりします(おもむろに本を読み出したりするのも悪いのでしょうけど)。


賑わっているラーメン屋とかだと、カウンターで客側から「大盛りラーメン!」とか大声で注文しなきゃいけなかったりするじゃないですか。
でもまあ、そういうところに入ってしまったからには、やっぱりやめた、と出ていくわけにもいかず、意を決して「ラーメンひとつ、くだ、さい……」みたいな感じで、自分なりに大声を出して注文しようとしたりするわけです。
ところが、声が小さいのか滑舌が悪いせいなのか、声のトーンに問題があるのか、全然聴き取ってもらえないことがあります。
「は?」なんて聞き返されたりすると、さらにコンプレックスが刺激されて、「もう帰りたい……」なんて気分にもなるのです。
世の中には、店にドカドカと入ってきて、「ラーメン!!」と一発でキメて、腕組みとかしている人だっているのに。
「大声で注文する」というひとつのことだって、意識しはじめると、緊張して声が出なかったり、うまくいかないと逃げ出したくなる。
大きな声になりすぎて、「ああ、ラーメン屋での注文くらいで、こんなに緊張している自分って、情けない……」なんて落ち込んだりもする。
ようやく店の人が気付いてくれたのはいけれど「なんでこの人、注文もせずに座っているのだろう?」という哀れみを感じたりすると、もう走って出ていきたくなります。
(それもまた、コンプレックスによる「被害妄想」みたいなものなんでしょうけど)


小さい人間なんです、本当に。

この「寂しいクレーマーおじさん」が、僕と同じタイプの人なのかどうかはわからないけれど、少なくとも僕の場合は、「上手く伝えられない」というコンプレックスと意識過剰が、ちょっとしたコミュニケーションの齟齬から自分が受けるダメージを増幅しているのを自覚しています。
で、なおさら萎縮して、ボソボソとしか喋れなくなっちゃったりするんだよね。
日常会話でも、「えっ?今なんて言ったの?」なんて聞き返されるだけで、内心かなりイラッときます。
自分でもわかっているので、表に出さないように気をつけてはいますが……
「自分でも聞き取りづらいのではないかと心配しているくらいなのに、聞き返されると腹が立つ」って、矛盾してはいるんですけどねえ。


「そんなの、大声で堂々と注文すればいいだけのことじゃないか」
確かにそのとおり、なんですよね。
「そこにハードルの存在を感じない人」は、たしかにそう思うはず。
僕だって、別件に関しては、他人に「そんなこともできないの?」って、よく感じているから。
でも、「できてあたりまえのはずなのに、自分はできなくて、それがつらくてしょうがないこと」というのは、意外と誰にでもあるのではないか、という気がするんですよ。
その項目は、ひとぞれぞれ、なのだろうけれども。


店の経営者夫婦にとって、このおじさんの言葉は、たしかに聞き取りづらかったのだろうと思います。
そういう意味では、わけのわからないまま「逆鱗」に触れてしまったわけで、店の側も気の毒だなあ、としか言いようがない。


もちろん、この日限定でこの人の機嫌が悪かったとか、その原因となるような事件(家庭問題とか、仕事上のトラブルとか)があった、という可能性もあるので、勝手に「僕と一緒だ!」なんて決めつけるのもバカバカしい話ではあるのですが、世の中にはこういう人もいるんですよ、というのを、なんとなく伝えておきたくなったので書きました。


ちなみに、僕は食券制度の店をこよなく愛しております。

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