いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

mixiの衰退の原因は、サービスの内容の問題というより、「寿命がきた」だけ

mixiはなぜ、衰退したのか?」が話題になっているようだけれども、比較的初期からmixiを使っている僕からすると、衰退したというより、適正化したというほうが的確なんじゃないかと思う。


美味しんぼ』の「サラダ勝負」で、海原雄山が「人間は本質的に生野菜が好きじゃない」というようなことを言っていたけれども、mixiの最盛期っていうのは、それこそ「生野菜嫌いの人でも、健康のためには生野菜を食べなければならない」というような強迫観念に駆られ、みんなmixiに登録していたように思われるのだ。


これはfacebookでもそうなのだけれども、一部のヘビーユーザーがどんどん「見てほしい私」を投稿し、それに「イイネ!」とつけないと居心地が悪くなる、という雰囲気は、多くの「そんなに他人と繋がることが好きじゃなく、価値も見いだせない人」にとっては、「めんどくさい世界」でしかなかったはずだ。
「足あと機能」がなくなったのは、mixiの経営的には失策だったのかもしれないが「やれやれ、これで気楽になる」と思った人も少なくないはず。


もちろん、大事な友達は、ネット上にだって存在する。
しかしながら、僕たちは、基本的に「数年くらいのサイクルで、人間関係を『整理』する」ことに慣れている。
学生なら進級、進学、就職。
大人なら、転居、転勤、異動など。


さまざまな機会に、意識的、あるいは無意識的に、僕たちは人間関係をリセットし、大事な友人だけを再インストールしているのだ。
そうしないと、すぐにメモリがいっぱいになってしまう。
だいたい、ごく一部の「生涯の友人」「家族」を除けば、「人生のステージ別に、必要な友人は異なる」ものだし。


端的に言ってしまうと、mixiが衰退したのは、サービス内容が問題になったわけではなくて、必要不可欠でもなく、大事にしたいと思うわけでもない相手との付き合いを、そろそろリセットしたい、と多くの人が考えているからではないかと僕は思う。


mixiのスタートは、2004年2月。もうすぐ10年。
現実世界を見回してみても、10年前からの友達なんて、何人いるだろうか?


mixiが衰退した」というのは、事実ではある。
けれど、そこには「mixiの運営側の問題」だけでなく、「mixiでの人間関係のしがらみを、リセットしたい人が増えた」こと、そして彼らにとっては「mixiが嫌になった」と友達に告白して去るより、「最近のmixiは、面白くないよね」という理由でフェードアウトするほうが無難だったことが、大きく影響しているような気がしてならない。


そもそも、どんなに「ネット上の友達」が増えても、1日は24時間しかないのだし、受験勉強も仕事もあれば、日曜日には子どもと公園に行かなければならない。


僕はmixiの衰退は「寿命」であり、「向いていない人までが巻き込まれていた異常な状況が終わった」だけではないかと考えている。
そして、もうしばらくすれば、facebookでも同じことが起こるはずだ。
いや、「めんどくさいからfacebookはやらない」と、宣言している人を、すでに僕は何人か知っている。
義理で入っていても、ログインしないことによって、なるべく面倒に巻き込まれないようにしている人も。


まあ、そうすればまた、別の「つながりたい!という人のためのツール」が流行って、新しい「友達」とつながって……の繰り返しになるのかもしれないけれど……

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