いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

夫婦ゲンカの「はじまり」と「終わり」

参考リンク:夫婦ゲンカはいかにして終わったか(ときどき休みます)


ああ、子どもにそんなに手がかからなくなったら、こういう感じになるのか……とか思いながら、上記エントリを読みました。
幼稚園児がいると「オチオチ夫婦喧嘩もしていられない」のですよね。
子どもはひとりではまだ家の中で遊ぶくらいしかできないし、朝も幼稚園バスに乗り遅れないように家を出なければならない。
家の中での諍いに、どちらの方向を向いて良いのかわからず、悲しそうな顔をしているのをみると、いたたまれない。
結局、ミッションを遂行するために、喧嘩は後回しになってしまう。
ちょっと、軍隊的、でもある。


自分が子どもの頃、「子はかすがい」なんていう言葉に「子どものために離婚しない、っていうのは、所詮大人のエゴじゃないのか?」と思っていたのだけれども、自分が親になってみると、「まあ、そういうものなのだな」としか言いようがないんだよなあ。


結婚前とか、子どもがいない時期は、わりと喧嘩も長くできていたのだけれど、目の前に小さな子供がいると、喧嘩もしていられない。
それで、もう少し年を取って、子どもも大きくなったたら、こんな感じになっていくのだろう。
含蓄のある話を読ませていただいた。


三谷幸喜のありふれた生活10』(朝日新聞出版)の巻末に「大竹しのぶ×三谷幸喜+和田誠<特別対談>三谷幸喜は結婚に向かない?」というのがありました。

三谷幸喜和田さんは、今まで、本当に、まったく、夫婦の危機はなかったんですか?


和田誠:ケンカはしますよ。でも、危機まではいたらないですね。今のところは。


三谷:ケンカのあとは、「ごめんね」って謝り合うんですか?


和田:いや、お互いにそんなことは言わない。ケンカしても次の朝は普通になってる。


三谷:ああ、そういうの、憧れるなあ。


大竹しのぶ三谷さん、レミさんみたいな人と合うかもしれないですね。あ、でも、ご飯を作ってくれて、三谷さんがすごく仕事がしたいときでも、「ご飯食べて食べてーーーっ!」(レミさんの口調をまねて)って言われちゃうね。


和田:そうそう、それは大変ですよ。


三谷:そういうとき、和田さんはどうされてるんですか?


和田:そう言われたら、オレ、すぐ食うから!(一同爆笑)


大竹:三谷さんも「ご飯よ!」って言われたことあるでしょう?


三谷:えぇ。ただねえ、僕は家で仕事をしてますから。ご飯できたわよ、お茶いれたわよ、コーヒーいれたわよって、せっかく言ってもらっても、ちょうど書いていて、今、調子が出てきたみたいなときもあるわけですよ……。僕がいけなかったのは、「仕事してるから、今はいいや」と言ったまま忘れちゃって、二時間後ぐらいにリビングに行くと、ご飯やコーヒーがすっかり冷めていて、激しく落ち込むっていうパターン。もちろん僕がいけないんですが。


和田:お茶だって、オレは出されたらすぐ飲むからね。


三谷:(苦笑)

この話、勉強になります。
僕も何かを夢中になっていやっていると、ついつい、「ご飯はあとで食べる」と言ってしまいがちだったので。
和田誠さんの「オレ、すぐ食うから!」に(一同爆笑)となっているけれど、これは笑うべきところじゃなくて、まさに「夫婦生活の要諦」なのではないか、と思うのです。
前述のエントリにも出てきましたが、喧嘩でも、すぐに収束しないと、こじれてしまうんだよね。
家庭生活の不満って、実は、こういう「すぐご飯を食べてくれない」みたいなところが、きっかけになっていることが、多いんじゃないかな。
食べる側は「いつ食べても一緒」なんて思いがちだけれど(子どもの頃は、僕もそう思ってました)、作る側は、「せっかく作ったのだから、なるべく美味しく食べてもらいたい」と願っているわけでもあり、そういうギャップが、大きな裂け目になっていくのです。


……って、わかったようなことを書いてしまいましたが、人生修業ですね本当に。
ネットの一部では、少しでも理想的なパートナーシップから外れてしまうと、その瑕疵を徹底的に叩かれるという光景を見ることがあるので、こういう「完璧じゃないけど、(たぶん)それなりに安定飛行をしている家族」みたいなのを読むと、正直ホッとします。

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