いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

ある書店員さんの「後悔」と、二軒のラーメン屋の話

参考リンク:書店人失格 〜ある残念な書店員の話〜《天狼院通信》 - 天狼院書店


 この話を読んで思い出した、二軒のラーメン屋の話など書いてみます。


 先日、出張先で、ある有名ラーメン店に入ったのです。
 平日の昼下がりで、まだランチをやっている時間。
 店内は満席で、外には数人が並んでました。
 僕と友人はランチ(ラーメン+餃子+ごはん)を注文。
 まず、ラーメンが運ばれてきました。
 早速、僕たちはラーメンを食べ始めたのですが、3分の1くらい食べたところで、友人は急な所用ができて、席を立ちました。
 しばらく電話で話をして、戻ってきたのは10分後くらい。
 友人が、じゃあ、また食べようかな、と箸を動かし始めたそのときです。
 店員さんが、友人に声をかけました。
「お客様、このラーメン、もうのびてしまっているので、新しいのをお作りしましょうか?」
 友人は「いえ、だいじょうぶです」と答えたのですが、僕はこの店員さんの申し出に驚きました。
 いや、ここが高級中華料理店で、締めのちっちゃいラーメンとかがのびていれば「新しく……」もありえると思うんですよ。
 僕にも、映画館でポップコーンをこぼしてしまったときに、スタッフが、片づけてくれたうえ、「新しいポップコーン」を持って来てくれた経験があります。
 あれは嬉しいというより、恐縮してしまったなあ。
 でも、ラーメン屋で、客の都合でラーメンがのびてしまったから、新しいものをつくりましょうか?と言われるなんて……
 「最初からのびているラーメンを出してしまった」というような、店側の不手際ならともかく。
 絶対に客単価では赤字になりますよね、これ。
 この店員さんだけの判断ではなくて、この店には、そういうマニュアルがあるのでしょうけど、もし本当に客が「じゃあ作り直してくれる?」って言ったら、たぶん、もう一杯分のお金をとることもなく、新しいラーメンが出てきたはずです。
 もちろん、その申し出があっても、大部分のお客は、「このままでいいです」と、と答えるという大前提で、このサービスは成り立っているのでしょう。
 このサービスのすごいところは、「あの客は、食べかけなのに、長い間席を離れている」というようなところまで、店員がちゃんと観察しているという点にもあります。
 ちょっと電話して戻ってきたくらいの時間で、「新しいのをつくりましょうか」と言い始めたらキリがないだろうし。
 こういうのってすごいなあ、この店ってサービスいいなあ、と思うのと同時に(もちろん、そう思わせるための戦略でもあるのでしょう)、ここまで客に過保護でいいのか、というようなことも、つい考えてしまうのです。


 もうひとつは、ごく最近の話。
 たまに行く近所のラーメン屋には、元気な女性の店員さんがいます。
 いつもキビキビと動いて、店を切り盛りしており、「いらっしゃいませ!」「ありがとうございます!」と、挨拶もしっかりはっきり。
 その店に入ったとき、僕は目についた新商品を注文したのです。
 それは「辛さ」が売りのラーメンだったのですが、その店員さんは「けっこう辛いですけど、大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。
 まあ、実際にけっこう辛かったのですが、僕は辛いもの好きなので、完食できる程度ではありました。
 そして、帰り際、会計をするときに「あのラーメン、お味はいかがでしたか?」と聞かれたんですよね。
 「ええ、辛かったけど、だいじょうぶでした」
 なんと間の抜けた返事!我ながら、「なにがだいじょうぶなんだ?」と問い返したくもなりますが、このとき僕の心に浮かんでいたのは、
「めんどくさいなー」
 ということだけでした。
 僕はラーメンを食べに来ただけであって、新商品のモニターになりに来たわけじゃないし、なんで「そんなにうまくもまずくもないラーメン」について、あれこれ相手を傷つけないようなコメントを考えねばならないのか?
 この店、熱心なあまり、席に座るといちいち「アンケートのご記入」を求められるのもめんどくさいんだよなあ。
 うーん、この店員さんに悪気はまったくなく、客とのコミュニケーションとして、僕のようなイケてないオッサンにも気兼ねなく話しかけてくれているというのはわかるのです。
 でもなあ、そういう濃密なコミュニケ—ションがめんどくさいから、ラーメン屋に入る、という人間もいるんですよね……
 というわけで、僕はそれ以来、この店には行っていません。
 

 サービスっていうのは、本当に難しいところがあって、結局「相手しだい」ではあるのです。
 昔アルバイトに行っていたあるクリニックで、院長先生があんまり患者さんに厳しいことを言って怒っているので驚いていたのですが、(ファンの)患者さんによると、「ああして怒ってくれているのは、患者のことを真剣に考えていてくれている証拠」なのだとか。
 一般の外来でも、診察が短いと「3分診療」と怒る人もいれば、「なんでもいいから、さっさと薬だけ出して!」という人もいる。
 

 僕は冒頭の書店員さんの「負の記憶」に納得するのと同時に、そのくらいはスルーしないと、サービス業って辛すぎるのではないか、とも思うんですよ。
 病院だって、ふだんの外来と、心停止の救急患者を診ているときに時間外来院した患者に同じ対応ができるかと言われたら、やっぱり難しいのと同じように。
 いや、問題っていうのは、サービスをする側の人間の心のうちにもあって、通常の外来でも、懸賞が当たってウキウキしている人間と、離婚危機で鉛玉が心ののなかでゴロゴロうごめいているような人間が、隣り合わせで診察していたりもするわけです。
 同じことが「サービスを受ける側」にも言える。
 機嫌の良いときなら気にならないことでも、ものすごく気に障るタイミングっていうのもある。
 内心って、わからないからさ。
 高速道路を200キロでぶっ飛ばしている車をみれば、大部分の人は「そんな危険な運転すんなバカ!」と憤るはず。
 でも、その人が病気の親の死に目に間にあうかどうかギリギリの状況であると知れば、そんなに腹は立たないでしょう。
 もちろん、どんな状況であっても、他人まで危険にさらすような運転は、「すべきではない」けれども。


 なんだかあちこちに飛びまくった話で申し訳ありませんが、とりあえず、思いついたことを書きました。
 結論がなくて、申し訳ない。

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