いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

僕を通り過ぎていった「ロスジェネ的なものたち」

参考リンク:ロスジェネ心理学を読んだよ - orangestarの日記

このエントリを読んでいて、なんだか1970年代前半生まれの僕の「ロスジェネ的なもの」が、次々と頭に浮かんできたので、とりあえず記録しておく。堤さやかはさておき。


(1)「ノストラダムスの大予言」をはじめて聞いたのは、小学校の友達の家だった。ああ、自分は30前に死んで、世界は滅ぶのだな、とずっと思っていたような気がする。あの頃の世界は冷戦が続いていて、「恐怖の大王」は核戦争で世界が滅ぶことだと言われたら、「そうなのか……」と信じずにはいられなかったのだ。
 考えてみれば、あの頃もいまも地球上の核兵器の数は同数以上なのだから、こうして安心しているほうがおかしな話なのかもしれないが。


(2)壇密という人関連の芸能ニュースを見るたびに、「黒木香に比べると……」と言ってしまいたくなる。


(3)「乗客に日本人はいませんでした」を聞くたびに、「みんな同じ人間なのに、なんで日本人だけ特別扱いなんだ」と憤っていた。
 いまは、「日本人の視聴者をターゲットに、日本語でやっている放送なんだから、ニーズに合った内容になるのはしょうがない」と思う。
 でも、そう思ったあと、少しそんなふうに大人になってしまった自分がイヤになる。


(4)「自分が死ねば世界は終わり」だという恐怖感を、まだ捨てきれぬ。


(5)『完全自殺マニュアル』は、親に見られてはいけない本だと思っていた。
 いまだに「クマ」の項は忘れられない。


(6)セガを応援することが、世界を変えることだと信じていた。


(7)なんとなく「梯子を外された世代」だと思う。しかし、「戦争で死んでいった人」たちのことを想像すると、なんというか、こんなことで悩んでウジウジしていても良いのだろうか、と反省もするのだ。なんのかんのいって、「戦場に行くことをリアルに感じずに40年間生きてきた」のは幸運であるのはまちがいない。


(8)でも、それが「幸運である」のかどうか、頭ではわかるけれど、実感として、よくわからないところもあるんだ。『シュタインズゲート』みたいに、バッドエンディングが見られれば、理解できると思うんだけどさ。
 失敗した失敗した失敗した失敗した……


(9)「子供は無条件で幸せだ」なんて言う大人にはなりたくない、と思っていた。しかし、それを信じられない大人になってみると、なんだか、かえって大きな間違いをおかしてしまったような気がする。


(10)『エヴァンゲリオン』にすら、リアルタイムではハマれなかった人間は、何を語ればいいのだろうか?


(11)これでもか!っていうくらいに絶望を描かないと、希望を語ることすら許されないことが、悲しくなってきた。


(12)ずっと、新庄ってバカだなあ、って思ってた。単に、羨ましいだけだったのかな。


(13)ただ、昔のことを思い出してみると、20年前に予想していたより、いまの僕はけっこう幸せです。

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