いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「イヤなら対案を出せ!」って、怖くない?

「これがイヤなら対案を出せ!」
そういう政治家の言葉を聞くたびに、僕はなんかモヤモヤしてしまっていたのです。
うーん、これ、なんか違うんじゃないのか?

というか、「政治」って、そういうものなのだろうか?


患者さんに、治療方針の説明をすることがよくあります。
そういう場で、こんなやりとりになったら、どうでしょうか。


医者「私は手術が良いと思います。どうですか?」
患者「うーん、手術か……怖いな、ちょっと考えさせてください。何か他の方法はないんでしょうか……」
医者「そうですか、手術がイヤなら対案を出してください。出せないんだったら、手術に決めますからね、いいですね!」


こんなの怖いよね。
僕だったらこんな医者には診てほしくない。


こういう場合、医者というのは、「私は手術をオススメしますが、手術した場合と手術しなかった場合には、それぞれこういうメリットとデメリットがあって、もし手術はどうしてもイヤということであれば、治癒率は低くなりますが抗がん剤という選択肢もあります。もう高齢だし、積極的な治療を望まない、ということであれば、緩和医療で苦痛をやわらげる、というやり方もありますが、その場合は当然病気は進行していくばかりです」(長い!でも実際はもっともっと長くなります)
というような話をするのです。
自分の意見だけを主張して、それがイヤならお前が対案を出せ!なんていうのは、専門家として親切だとは言いがたい。
だって、「どんな選択肢があるかもわからないのが素人」なんだからさ。


ただし、政治家どうしで、「これがイヤなら対案を出せ!」っていうのは当然のことですよ。
医者どうしでも、「こうしたほうが良いと思います」という対案もなく、「そんな治療は、なんとなくイヤなんです。気持ち悪いんです」ってカンファレンスで反対したら、笑い者になるだけだから。


僕は「政治」っていうのは、「専門的な仕事」だと考えています。
「対案出せ!」って言われて3秒で答えられるような甘い世界じゃないだろう、と。
もちろん、相手も政治家だったら別ですよ。
「政治のプロ」を名乗るのであれば、その場ですぐには答えられなくても、「なるべくすみやかに、ちゃんと返事をする」姿勢がなければ、失格だと思う。


でも、素人を「対案出せ!」って責める人って、むしろ、「政治という仕事をバカにしている」のではないかなあ。
それとも、現代の政治って、ギリシアのポリスみたいに、「みんながいつくじ引きで政治家になっても、こなせるような仕事」なのだろうか。


僕は素人って、「それだとなんだか不安なんです」とか「もっと良い方法はないんですか?」「ほかの選択肢は考えられませんか?」っていう「曖昧な疑問」をぶつけて当然の存在だと思うのです。
そして、その疑問に対して、なるべく誠実に答えてあげるのが「政治の専門家」のあるべき姿ではないのか、と。


「だれかがやりこめられているのを見るのが楽しい」からという理由で、政治家にラクをさせちゃいかんと思うんだよね。
専門家ならば、もうちょっと、自分の仕事の内容をきちんと説明するべきだし、「対案も含めて、政治のプロが考えて、わかりやすく提示すべき」じゃないのかな。
みんなが100%理解することは不可能なのだとしても、「わからない人、同調しない人を攻撃する姿勢」からは、ロクなものは生まれないと思う。

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