いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「金魚プール事件」で考えたこと

金魚放したと女子中生「多すぎて飼えず」(日刊スポーツ)


 埼玉県狭山市の市立入間川中学校で、プールに投入されているのが見つかった300~400匹の金魚について、同市などの中学3年の女子生徒4人が金魚を放したと説明していることが10日、捜査関係者への取材で分かった。

 捜査関係者によると、4人は7日午後、保護者と狭山署を訪れ「金魚をもらったが、多すぎて飼えず、プールに放した」と話した。週末に市内であった祭りで金魚すくいの売れ残りなどを入手、うち3人がプールに放したと説明したという。


 そんなの最初に「多すぎて飼えない」ことに気づけよ……という話ではありますが、当初は「業者が捨てたのではないか」などと言われていたこの「金魚放流事件」、いちおう、これで決着となったようです。
 そもそも、業者も「売れ残りを300匹も誰かにあげる」と、どうなるかなんてことはわかりきっていそうなものですけど。

 ただ、この話を読んでいて、なんというか、もやもやしてしまうのは、「きっとこの女子中学生たちも、『もらった金魚を自分で殺すにはしのびない』と考えたのだろうな、ということです。
 気持ちはわかる。
 でも、僕みたいに「その気持ちはわかる」って言う大人がいるから、自分で保健所に持ち込んで「処分」するのは残酷だからと捨て犬捨て猫にしてしまったり、買っている異国の生き物を「放して」周囲の生態系を破壊してしまったりする人が絶えないのもまた事実。

 「生き物の命を大切にする」というのは、どういうことなのか?
 「命を大切にしましょう」って言いながら、その「大切にする」というのは、どういうことなのか?
 とりあえず自分の目の前で死なないようにすればいいのか?
 ときには、自分で手を下さざるをえない場合もあるということを、教えるべきではないのか?
 考えてみれば、「売れ残った金魚」は、業者がずっと大切にお世話しているのだろうか?
 こういう形で話題にならなければ、金魚を引き取ってくれる人が、こんなにいただろうか?


参考リンク:作家の坂東眞砂子が18日の日経新聞で日常的に子猫を殺していると語る(痛いニュース)

そういえば、この参考リンクの話で、この作家は大炎上していましたね……
僕は避妊手術のほうがマシだと思うんだけど、それが絶対に正しいかと言われると、あんまり自信ないなあ……

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