いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

原監督と『マディソン郡の橋』

参考リンク:ファンに謝罪の原監督「心のもやもやがとれて感謝」 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

 

↑の記事には、【原監督のファンへの声明】の全文が掲載されています。

これともうひとつ「清武さんへ」という怪文書も公開されたそうなのですが、その話は置いておくこととして。

 

(以下【原監督のファンへの声明】から引用)

 1988年ごろ、私はある女性と関係を持ちました。女性とはまもなく連絡を断ちましたが、それから約18年後、監督に復帰して1年目の2006年8月、プロ野球と関係ある人物から電話があり、「あなたの女性問題に関する日記がある。公になれば球界は大変なことになる。表に出ないよう私に任せてほしい」と言われました。

 ゆすられていると思い、不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し、要求された現金を渡しました。悩んで悩んで悩み抜いての苦渋の選択でした。私の個人マネジャーとは「これで終わりにならない時には球団に相談し、警察に届け出よう」と話し合いました。

 その後、動きはありませんでしたが、2009年、別の男から球団に電話があり、「女性問題のことを書いた日記が監督の手に渡ったはずだ。それを返してほしい」ということでした。私は球団にすべてを打ち明けました。妻にもすぐに告白しました。一番傷つけてしまうのは妻だと思ったからでした。

(引用終わり)

 

僕がこれを読んでいていちばん気になったのは、反社会勢力云々よりも、原監督の奥様のことだったんですよ。

この年表をみると、原さんが「不倫」をしたのは、結婚後2年くらい。

そして、この1億円の恐喝事件が起こったのは、その18年後。

二度目の恐喝未遂がきっかけで、原さんが奥様に「告白」したのは、そのさらに3年後のことでした。

 

もし、この不倫が、結婚後2年の時点で奥様に知られていたら、夫婦はどうなっていたのだろうか、と僕は考えてしまいます。

お互いにまだ若くて、不倫がつい最近のことであれば、かなりの修羅場になったんじゃないかと思うんですよ。

離婚していたかもしれないし、しなかったかもしれない。

それは、僕にはわからないし、たぶん、原夫妻にもわからないと思う。

 

ひとつ言えることは、同じ「不貞行為」でも、それがリアルタイムで発覚した場合と、20年経ってから発覚した場合では、当事者の夫婦のリアクションは大きく異なるだろう、ということです。

「同じこと」をやっていても、時間が経つと、なんとなく「風化」してしまう。

今回の件については、冷却期間をおけたことが、原夫妻にとってはプラスだったということです。

(もちろん、結婚生活を維持するという点においてであって、ふたりの人生にプラスだったかどうかは、誰にも評価しようがないんですが)

マディソン郡の橋』なんて、死ぬまで内緒にしていただけで、「純愛美談」ですからね、まったくひどい話だ。夫が哀れすぎる。

あれ、直後に発覚していたら、単なる「バッチコーイ妻の話」だよねえ。

 

原監督の場合は、2009年に奥様に告白したら許してくれたそうなので、夫婦関係に関しては、2006年に告白しても、たぶん許してくれそうなものですよね。

「社会問題」っていっても、人気スポーツ選手の貞操観念って、そこまでみんな期待しているものなのだろうか(基本的に男子体育会系って、「精力自慢」大好きだからさ)。

「まあ、そのくらいのことやってる人はたくさんいそうだよね」って感じじゃないかな。

 

というわけで、「やっぱり夫婦のあいだには、秘密にしておいたほうが良いことがあるというか、大概のことは、『昔話』になるくらいまで内緒にしておけば、案外、赦しちゃうものなのかな、ということを考えた次第です。

 

でも、奥様的には、どうなんだろうね?

そのとき、リアルタイムで謝ってほしかったのだろうか?

それとも、そのときは知らなくてよかった、と感じたのだろうか?

 

それにしても、「お金を渡したのは反社会勢力に属する人間じゃない」って、すごい理屈だよなあ。

「そういう恐喝をする人間」=「反社会勢力」なんじゃないの?

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