いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

あわただしい朝に、息子から教わったこと

息子も3歳。

毎朝、僕が仕事に出ようとすると「遊んでよ~」と、まとわりついてきます。

しかしながら、こちらは遅刻ギリギリということも多いので、「ごめんね、パパはもうお仕事に行かなくちゃ!」と、息子を振り切って出勤。

すると、息子号泣。 泣き声を聞きながら、鬱々と出勤。 そんなパターンが、しばらく続いていたのです。

 

そんなある日のこと、一度「しょうがないなあ……」って、絵本を1冊だけ読んであげました(5分くらいのものです)。

もちろん、「もっと遊んでよ~」と言ってくるのですが、それでも、1冊だけ絵本を読んでから、「ごめんね、パパはもうお仕事の時間だから。帰ってきたら遊ぼう」と言うと、悲しそうな顔をしながらも、「いってらっしゃい」と、弱々しくも手を振って見送ってくれたのです。

「ほんの少しだけ構ってやっても、息子の欲求を満たすことはできないだろう」 そう考えていたのは、僕の「思いこみ」だったのかもしれません。

いや、たぶん、息子だって、絵本1冊では「物足りない」にはちがいない。

でも、「忙しいなかで、短い時間でも、自分と遊んでくれた」という「父親の想い」は、伝わるのかもしれません。

 

忙しい朝は、「たった5分」が貴重です。 それでも、息子の泣き声をバックに出勤するのと、「いってらっしゃい」では、その日のスタートの「やる気」が違います。

「誠意」っていうと、なんか大仰な感じなんだけど、どんなに短い時間や簡単なことでも、「ちゃんとあなたのことを想っていますよ」というサインを出すのは、すごく大事なことなのだな、と息子に教わりました。

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