ついに日本語版がリリースされた『ポケモンGO』。
世界中でかなり盛り上がっているみたいですね。
アメリカのニュースで、「『ポケモンGO』がすごいことになってるぜ!」というのを見たときには、なんだかちょっと嬉しくなりました。
僕自身は、現在カナダにいるため、ネット環境的に『ポケモンGO』を十分堪能するというわけにはいかず、ホテルのベッドの上で、寄ってきた野良ポケモンにやさぐれつつモンスターボールをポイポイと投げている毎日です。
ところで、『セカイカメラ』って、覚えてますか?
『ポケモンGO』の画面を最初にみて、僕が思い出したのが、この『セカイカメラ』だったんですよね。
ユーザーが自ら移動してスマートフォンの画面越しに対象物を探し、「ユーザー自身が現実に情報を上書きして、それを見た人がフィードバックしていく」というのは、まさに『セカイカメラ』だよなあ、って。
『セカイカメラ』にはゲーム性はなかったし、技術的に詳しい人にとっては、「『ポケモンGO』とは全然違う」ものなのかもしれないけれど。
この『セカイカメラ』って、発表当初は、ものすごく話題になって、各地に「セカイカメラを使うと、解説がみられるスポット」とかもつくられていたんですよね。
iPhone(あるいはスマートフォン)の新しい可能性を示したソフト、として、かなり注目されていた記憶があります。
ところが、あらためて思い返してみると、最近は全く話題になることがないし、人気アプリケーションランキングにも出てきません。
『ポケモンGO』の画面写真をみて、「そういえば、『セカイカメラ』って、いま、どうしているんだろう?と検索してみたら、こんな記事がありました。
2年半も前にサービス終了していたのか、『セカイカメラ』。
ネットにおけるサービスの栄枯盛衰というのを痛感させられる話です。
僕はサービス終了のことも知りませんでした。
セカイカメラは、現実の背景に情報を重ねて表示する「拡張現実(AR)」技術を用いたスマートフォン向けアプリ。写真やメッセージを場所に紐付いたかたちで投稿できる。セカイカメラをかざすと、ディスプレイ上では目の前の景色とともに、場所に関連する「エアタグ」と呼ばれる文字や画像などがオーバーレイ表示される。
『セカイカメラ』があれだけ注目されたのに、短命で、うまくいかなかった理由として、運営会社のCEOがこんな話をされています。
「まず、ダメだった点から3点お話しします。1つ目は、使うにあたりスマホをかざさなくてはいけなかったこと。セカイカメラが登場する前から研究されていたAR(拡張現実)を、スマホというデバイスを使って身近なものにしたことは大きい。けれど、かざすのは実際恥ずかしいですよね。周辺の情報はスマホの画面を見てリストや地図で見るのでも十分なわけですし」
たしかに、繁華街でスマホをかざすと不審な目で見られる。さらに、「2つ目は、情報の整理ができていなかったこと。街中を歩いていると多くの情報が目に飛び込んできます。混沌としている現実に、混沌としているウェブ上の情報を載せると、混沌が合わさって、何を見たらいいのかわからない、有用な情報の取捨選択を困難にしてしまった。3つ目は、毎日使う必要性がないこと。いつもの通勤経路で、馴染みの繁華街で、前に見たときと違う情報があれば人は使うけど、それがわからなければ使ってくれない」と、セカイカメラへの反省は尽きない。
これを読んでみると、『ポケモンGO』は、「ポケモンを捕まえる」というゲーム性を加えること、そして、「ゲームであること」に特化することによって、2つ目の「情報の整理」という点はクリアできているように思われます。
その一方で、流行っているうちは良いけれど、下火になったら、スマートフォンをかざすという行為は「まだ『ポケモンGO』やってるの?」と、いう目でみられてしまう可能性もあるんですよね。そして、多くの人が日常的に行ける範囲というのはある程度決まっていて、そのうえ、これだけいろんなところから攻略法が一気に公開されてしまうと「飽きられる」リスクもかなり高そうです。
現状では、消費に対して、新しいコンテンツが生み出されるスピードが追いついていないし。
もしかしたら、『ポケモンGO』は、『セカイカメラ』と同じように、ロケットスタートをみせたあと、急激に失速していくかもしれません。
ただし、『ポケモンGO』には、単なる拡張現実体験ゲームではない、任天堂の「思想」みたいなものが詰まっているのです。
d.hatena.ne.jp
この本のなかで、「枯れた技術の水平思考」について、2006年に『PC Watch』に掲載された、こんな任天堂の故・岩田聡社長のインタビューが引用されています。
(Wiiの成功の秘密について)
質問者:国内ゲーム市場の縮小と、開発規模の増大によるコストの高騰。この2つは、日本のゲーム業界の課題として多くの方が挙げています。それを打開するために、Wiiでは、枯れたアーキテクチャを使うことを選択したと。
岩田社長:任天堂にはもともとそうした考え方がありました。ゲームボーイを作った横井(横井軍平氏、任天堂に在籍したゲーム機開発者)が、「枯れた技術の水平思考」という言葉を残しています。枯れた技術を使い、アイディアで勝負するんだと。宮本(宮本茂氏、任天堂専務)も、横井が師匠なので、その考えを受け継いでいます。たまたま、こういう時代に、自分が社長という役割になってみたら、社内にそういう伝統があった。それなら、そういう社風の任天堂がその役に行くべきだと。
『ポケモンGO』というのは、まさにこの「枯れた技術の水平思考」の賜物です。
『セカイカメラ』で、ほぼ完成させていたにもかかわらず、うまく使いこなせなかった技術を「ポケットモンスター」と融合させることによって、魅力的なコンテンツにすることに成功したのです。
コスト的にかなり厳しかったゲームボーイで、最後まで「通信ポート」を残したのは、横井軍平さんの判断でした。
横井にとって「遊び」とは、何人かの友人が集まって遊ぶことで、一人で遊ぶのは友だちがいなくてしかたのないときにすることだった。「コンピューターは難しいから、嫌いや」という横井の言葉は、ただ技術的なことだけを言っていたのではないように思う。コンピューターと対戦すると、どうしても一人遊びになってしまう。そこに横井の生理は拒否反応を示していた。
これまでのスマートフォンのゲームというのは、基本的に「時間とお金をそのゲームに注ぎ込み続けた人が勝利する」ものでした。
極論すれば、プレイヤーは、ずっと部屋に引きこもって、スマートフォンを操作し続けてくれたほうが「勝てる」し、運営側は「儲かる」構造になっていました。
『ポケモンGO』は、プレイヤーたちに呼びかけているのです。
「スマートフォンを持って、街に出ようよ」と。
僕は、『ポケモンGO』が持続的な成功を収めることができるかどうかは、ひとつのことにかかっていると思うのです。
それは、「ポケモンを探すために、自分の知らない世界に踏み出す人々が増えていくかどうか」。
『セカイカメラ』の失速の原因のひとつは、「いつも同じ日常の範囲内で使っていても、新鮮味がない」ことでした。
だからといって、『セカイカメラ』の情報を見るために旅に出るほどのインパクトはなかったのです。
『ポケモンGO』は、プレイヤーが日常から逸脱するきっかけになるゲームだと思うんですよ。
ポケモン探しのために出かけたとしても、その場所や建物で、人は、なんらかの発見をする。
それは、ポケモンをゲットすることだけとは限りません。
『ポケモンGO』は、ある意味、「任天堂らしさ」の集大成でもあるのです。
「拡張現実」が、「現実」を動かすことができるのか?
もはや、「拡張現実」も「現実」の一部であり、スマートフォン越しにみえるポケモンは、本当にそこに「いる」のではないか?
『ポケモンGO』は、『セカイカメラ』の二の舞になってしまうのか、それとも、『セカイカメラ』が果たせなかった「拡張現実の可能性」を実現することができるのか。
僕は、その「答え」が出るのを愉しみにしているのです。
「ポケモンをゲットするために、エベレストに登る」
そんな世界も、そんなに遠い未来ではないのかもしれません。
こちらは随時更新中の僕の旅行記です(現在カナダ編)。有料(300円)ですが、よろしければ。
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