いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

最近ちょっと、池上彰さんのことが、わからなくなっている。

参考リンク:ジャーナリスト池上彰から敵前逃亡をした新都知事の情けなさ - Nothing Ventured, Nothing Gained.


僕は池上彰さんの著書をたくさん読んでいますし、池上さんというジャーナリストがいてくれるおかげで、いろんなことを知ることができて、感謝しています。
ただ、最近ちょっと、池上さんについて、「わからなくなっている」ところがあって。


この参考リンクの記事では、舛添さんが「池上さんは細川支持なのではないか?」と判断し、質問を避けようとしたのではないか、と書かれているのですが、僕はちょっと意外な気がしたのです。
舛添さんは、池上さんのどこを、あるいは何をみて、「細川寄り」だと考えていたのか?


僕の疑問は以下のとおりです。

池上さんは、さまざまな政治家に対して、視聴者の視点で「疑問」に斬り込んでいってくれますが、池上さん自身の政治的な信条というのは、どこにあるのだろう? 誰を、どの党を支持しているのだろう?


日本のジャーナリズムでは、「中立な報道」が建前とされていますが、とくに民放では「○○寄り」なんていうのがありますよね。
それをテレビなどで明言しているジャーナリストは少数派ですが、発言内容やそれまでの仕事などから判断すると大概の場合、その人の「旗幟」はわかります。


ところが、池上さんの場合は、「池上さん自身の立場」って、僕にはなかなか見えてこないんですよ。
だからこそ、池上さんは、どの政治家に対しても、厳しいツッコミを入れられるのでしょう。
ただ、その一方で、「自分自身は傷つくこともないまま、他者の弱点をあげつらうだけの炎上発生装置」みたいなところもあるわけです。
批判的なブックマークコメントばかりつけているような、ブックマーカーみたいなもの、というか。


僕は池上さん大好きなので、池上さんの自伝的な新書も読みました。
そのなかで、記者時代に、みんなが飲みに行ったり、「つきあい」に時間を費やしているなかで、周囲とつるまずにひとりで図書館などに行って「勉強」を続けて、いまの知識を得てきたことが書かれていました。
コミュニケーション苦手な僕には、勇気づけられる話ではあったのですが、その一方で、池上さんというのは、人を集め、動かして、政治をやる側の人間ではないのだろうな、とも感じたんですよね。
そういう人は、やっぱり、「人間関係」を重視するだろうと思うから。


池上さんは、情報を分析し、わかりやすく説明し、的確な質問をすることにかけて、稀代の能力を持っている人なのだけれども、池上さん自身のなかには、何があるのだろうか?
池上さん自身は、日本をどうしたいと思っているのだろうか?
「自分は情報分析装置」みたいなもので、多くの人に政治をわかりやすく説明することそのものが役割だと考えていて、自分自身の信条は持たないようにしているのだろうか?
これは、津田大介さんに対しても、同じように感じていることなのです。


池上さんの場合は、あくまでも僕の印象として、特定の信条を持っているわけではなく、「いま、権力を持っている人」「勝ち馬に乗っている人」に対して、より厳しく追及していこう、というのはありそうなのですが、あんまり良くない言葉を使うと「自分の立場を明らかにせずに、つねに『質問する側』に立つというのは、ちょっとずるい処世術だよな」とも思うのです。


まあでも、他のジャーナリストやアナウンサーにそんなことは感じないので、それだけ、池上さんの存在が大きなものになっている、ということでもあるんですけどね。


学び続ける力 (講談社現代新書)

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