いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

男子サッカーのワールドカップ・ロシア大会(2018年)についての雑感(最終版)

最初に謝っておきます。
僕はワールドカップと日本代表戦くらいは観る、というくらいの「にわかサッカー観戦者」なので、詳しい人にとっては、いろいろ言いたくなると思いますが、御容赦ください。
嫌な予感がする人は「戻る」ことを推奨します。


で、書こうと思えばキリが無いのですが、今回は2つだけ、日本代表チームのことと、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)の話だけ。


今回の大会前、というか、グループリーグ初戦のコロンビア戦の前までは、大会前のテストマッチでの低調さに加えて、ハリルホジッチ監督の突然の解任騒動もあり、日本代表チームへの期待値はかなり低かったのです。もうみんな、忘れてしまっているかもしれないけれど。
僕もコロンビア戦の前までは「この試合でボロ負けして、もうグループリーグ突破は難しくなってしまうかもしれないなあ」と思っていました。

メディアというのは視聴率を稼ぐために煽るものではありますが、以前の大会のように、「日本代表、ブラジルに3点差以上つけて勝てば、グループリーグ突破の可能性が残されています!」なんていうのを聞くと、「グループ最強のブラジルにそんな大差で勝てるようなチームが、グループリーグで1敗1引き分けなわけないだろ……」とボヤきたくもなるのです。


コロンビア戦、なんとか0−0の引き分けにでも持ち込めれば、次の試合までは楽しみができるのだけれど……
ところが、蓋を開けてみれば、開始早々、いきなりコロンビアのハンドでPKをゲット。レッドカードで、コロンビアは10人になってしまいます。


でも、ここでPKを外したりしがちなんだよな……


そんな危惧を振り払い、香川がきっちり決めて日本先制!
11対10と数的有利の時間が長かったものの、一度は同点に追いつかれます。
しかしながら、後半28分に大迫のヘディングで勝ち越して、勝ち点3!


fujipon.hatenablog.com


その後も、第2戦は、セネガルとの点の取り合いの末、2対2で引き分けで勝ち点1を加え、グループリーグの最終戦は、グループリーグ敗退が決まっているポーランドセネガルとコロンビアは直接対決で星の潰し合いになるため、かなり有利な状況でした。
西野監督は、選手の疲労や決勝トーナメントのことも考えて、先発メンバーを大きく変えてこの試合に臨みました。


今大会の日本代表の試合としては、最も見どころがなく、ポーランドに先制されて、このままではグループリーグ突破も危ない、という状況に。
コロンビアとセネガルが引き分けなら、日本のグループリーグ敗退が決まります。
しかしながら、天は、コロンビアは日本を見放していなかった。
試合終了がみえてきた時間に、コロンビアが勝ち越したのを知って、日本代表チームは「1点差負けの状態をキープして、コロンビア対セネガル戦がこのままのスコアで終わることを期待する」という作戦を選択しました。
僕もそれなりに長い間生きているので、いろんなサッカーの試合をみてきましたが、ここまで膠着状態になった試合というのは、はじめてみました。
まさに、沈黙の10分間。
でも、もしコロンビアのほうの試合が動いたら、その瞬間、日本は全力で点を取りにいかなければならなくなる、という、ものすごい緊張感のなかでの「時間稼ぎ」だったんですよね。


世界各国、そして、日本国内でもフェアプレー精神の欠如、だとバッシングされたこの試合なのですが、個人的には「あの状況で、西野監督は、もっとも決勝トーナメントに行ける可能性が高い方法を選択した」と感じましたし、こういう批判が出ることは(日本人だからなおさら)承知のうえだったはずです。
それでも、「カッコよく負ける」という陶酔を捨てて、あのプレーを遂行した日本代表に、僕はなんだか感動してしまいました。
なんのかんの言っても、やはり、勝てば官軍なのも事実です。
あのとき沸き起こった大きな批判も、ベルギー戦で日本代表が大善戦したとたんに、「やっぱり決勝トーナメントに出られてよかった!」「ありがとう日本代表!」という声にかき消されてしまったのですから。

www.nikkansports.com


いま、あの場面を振り返ってみると、ああいう状況って、きわめて再現性に乏しいのです。
 まず、グループリーグ最終戦で、同じグループのもう1試合と同時進行だったこと。
 そして、あの残り時間10分で、どちらの会場もスコアが動かなければ、日本代表は決勝トーナメントに進出できる、という条件になったこと(さすがに、30分間ずっと時間稼ぎというのは現実的ではありません)。
 さらに、この試合に関しては、日本が1点負けていたこと。
 ポーランド代表は、期待されながらも、セネガル、コロンビアに連敗し、すでにグループリーグ敗退が決まっていたのですが、ひとつくらいは勝って帰りたい、という心境ではあったはずです。
 このまま日本の時間稼ぎに乗ってしまえば、とりあえず安全に1勝はできて、少しは名誉を挽回できる。逆に、2点取っても3点取っても決勝トーナメントに行けるわけではないし、積極的にボールを取りにいき、攻めようとすればカウンターを食らうリスクもある。相手が負けていいっていうのなら、それで丸くおさめてしまおう、というのは、わかりやすい判断です。
 もし、相手チームも決勝トーナメント進出がかかっている状況であれば、あんな時間稼ぎなんてさせてもらえるはずがありません。グループリーグ敗退が決まっていたとしても、負けている状況であれば、国の代表チームとしての面子もあるし、批判されるのは目に見えていますから、もっと積極的にボールを取りにきたはずです。
 正直、ここまで完璧な「両チームの暗黙の諒解のもとに、時間稼ぎが成立する状況」って、ものすごくレアケースだと思うんですよ。
 だから、あれを議論する意味は、あまりないのかもしれません。

 
 フェアプレーって言うけれど、僕は、それぞれのチームが最良の結果を出すために、ルールに反しない範囲で全力を尽くすのが「フェアプレー」だと思うので、あの場面では、あれが最高のフェアプレーだと感じました。
 スタジアムで観ていた観客は気の毒だったけれども。


 あの時間稼ぎが批判されたことが、決勝トーナメント第1戦でベルギーに2点勝ち越したあと、徹底的に守りに入れなかったひとつの原因になったのかな、とも思います。
 ベルギー戦は、あの強豪チームを2点もリードしてしまったことによって、「勝てるかも!」と、かえって浮き足立ってしまったようにも見えたんですよね。
 そもそも、日本の2点はいずれも驚くべきスーパーゴールで、それ以外の場面では、ベルギーに圧されていましたし。
 僕自身は、物事がうまくいっているときに、かえって緊張してしまうことがよくあるのです。
 「ダメもと」でやっているうちはリラックスして順調にやれるのだけれど、途中で、「あれ、これはうまくいっている。いけるんじゃない?」と思いはじめると、どんどん不安になってくる。こんなにうまくいっていいのだろうか、どこかに落とし穴があるのではないか、って。
 1点返された途端に、まだリードしているにもかかわらず「やっぱり……」って気分になったものなあ。
 でも、決勝トーナメントでのベルギーの強さを目の当たりにすると、日本代表チームは大健闘したし、世界に実力を知らしめた、と言っていいのではないでしょうか。
 内心、「ベルギーの引き立て役になっちゃったな……」とも思っていますが。


 ハリルホジッチ解任から西野監督就任、そして、最も期待されていなかった代表チームから、コロンビアに勝ったと思えば、「時間稼ぎ騒動」で批判を浴び、強豪ベルギーを苦しめて世界から大絶賛、と、ジェットコースターのように叩かれたり褒められたりした今回の日本代表チームではありました。


 個人的には、「まさか7月まで自国の代表チームを応援できるとは思わなかった」し、楽しませてもらってありがとう、なのです。
 ただ、これで結果が出てしまったことにより、ハリルホジッチ監督の解任は正解だったのかもしれない、という気もしてきたんですよね。西野監督は勝負師として、多くの人の予想をはるかに上回る結果を出しました。コロンビア戦でのPKなどの幸運もあったにせよ、ここまで健闘するとは。
 実際のところ、代表チームの下地をつくったのはハリルホジッチ監督だったわけで、西野監督が、最後の2か月間でどのくらいのことができたのか、どこまでが西野監督の功績なのか、難しいところではあります。
 でも、世間的には「西野ジャパン」なんですよね。この2018年大会は。
 西野監督は、すばらしい戦術家であることが今回あらためて証明されましたが、「コミュニケーションがうまくいくようになった」というのは、「これまで厳しい練習で選手を鍛えてきた(そして、けっこう恨まれてもいた)監督が突然急病で倒れてしまって、若い監督のもとでリラックスしたチームが快進撃を続ける高校野球のマンガみたいなものなのではないか、とも感じるんですよね。
 これは、カンフル剤というか「ショック療法」「反動」みたいなものではなかったのか。
 西野監督は「世界のサッカーをある程度知ってはいても、世界に通用する『西野サッカー』を4年間かけて、独自性をもって日本代表チームに注入できる指導者」ではないと僕は思っています。というか、現状、日本にはそのレベルの指導者は、たぶんいない。そもそも、日本は、選手よりも、指導者に海外での経験が足りない。
 西野さんが続投を拒んだのは、自分の限界を知っていたからだと考えています。自分の力で可能な最良の結果を出したのだから、次は、さらにステップアップできる指導者にバトンタッチしたい、と。


 今回は、アクシデント的なものだったとはいえ、「厳しい人に鍛えてもらって、本番は戦術眼に秀でた、コミュニケーションが取りやすい監督に替える」というやり方は、もしかしたら「正解」なのかもしれないんですよね。
 ザッケローニ監督のように、素晴らしい代表チームをつくっても、ワールドカップ本戦では結果を出せない事例もあるし、チームを育てる能力と、本番で勝たせる能力というのは、違うのかもしれません。
 もちろん、それを併せ持っている人も世界にはごく少数ですが存在していて、そういう人に任せられると、いちばん良いのでしょうけど。
 今回、前アーセナルベンゲル監督に打診して条件が合わなかった、という話が伝えられていますが、世界のサッカー協会でも有数のお金持ちの日本サッカー協会でも無理って、どんな条件なんだろう、という興味はあります。
 グアルディオラやモウリーリョやジダンのような指導者は、代表監督よりも条件が良いビッグクラブの指揮を取りたがるでしょうし。


 こういう結果が出たことで、あのハリルホジッチ解任劇をどう考えるかは、難しくなりました。
 ハリルホジッチ続投時に予想されたよりも、はるかに上の結果が出たのだから、日本サッカー協会が正しかった、で良いのだろうか。
 「いや、ハリルホジッチ監督のままだったら、もっと上に行けた」と主張する勇気は僕にはありません。コロンビアもPKを献上してはくれなかっただろうし。
 とはいえ、「コミュニケーション不足」みたいな、よくわからない理由での解任が正当化されてもいいのか、とも思う。
 ワールドカップ前と後で、「ハリルホジッチ解任の是非」についてアンケートをとれば、おそらく、結果は大きく変わり、「ハリルホジッチ解任は正解だった」と答える人が増えるはずです。
 

 正しいから結果が出たのか、結果が出たから、正しいということになったのか?
 まあでも、こういうのって、サッカー界に限らず、よくある話ではありますよね。
 僕は、長い目でみれば、ハリルホジッチ監督に任せたほうが良かったのではないか、と思うのですが、なんのかんの言っても、決勝トーナメントに進み、もう少しでベスト8のところまで行った経験、というのは、代え難いものがあるだろうし……
 

 うわ、ここまででももう5000字オーバーになっている。
 もう誰も読んでいないかもしれないけど、VARの話もしておきます。
 僕は今大会の主役は、VARだったと思うんですよ。人間のスポーツにおいて、大きなターニングポイントになった大会だと感じます。


www.footballchannel.jp
仏のPK獲得、ハンドの決定的瞬間の1枚に海外ファン賛否 「やってない」「これはPK」 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト


 とくに、決勝戦、1−1の場面での、クロアチアペリシッチのハンドの判定の場面には、観ていて唸ってしまったのです。
 うーむ、映像的には、これはたしかに「ハンド」だと思う。
 でも、故意、なのかなこれ……緊迫した好ゲームになった決勝の流れを、こんなプレーからのPKで変えてほしくないな……
 主審は、フランスの選手たちのアピールとVARからのアドバイスを受け、ビデオを確認しに行きました。
 そして、一度ピッチに戻りかけて引き返し、もう一度映像を確認した末に、ハンドによるPKと判定したのです。
 もし、VARがない時代だったら、あの場面は、PKにはならずに、そのまま試合を続行していたのではなかろうか。
 僕がどちらのチームにも肩入れしておらず、面白い決勝戦をみたい、という観客だからなのかもしれませんが、なんだかとても興醒めな感じがしました。
 サッカーの審判には、ファウルの取捨やカードの出し方などで試合をコントロールする、という役割もあるんですよね。

 それでも、ああやって、映像にうつっているのを見ると、「ハンド」と判定せざるをえないのもわかります。
 VARがあったら、マラドーナの「神の手」とか、単なる反則として歴史に埋もれていたはず。


 映像に基づいて、正しい判定がされるというのは、「良いこと」のはずなんですよ。
 でも、反則かどうかの基準を決めるのが人間であるかぎり、コンピュータは万能ではありえない。
 「ボールがゴールラインを越えたか」みたいな物理的に判断できるものは、納得しやすいのだけれど。
 

 ひとことで言うと、「人間がスポーツの試合を判定し、コントロールする時代の終わりの始まり」が、今回のワールドカップ・ロシア大会だったような気がするのです。
 「決勝戦だから」「ここまでは互角の好ゲームだから」という「情緒や思い入れ」みたいなものを、VARは持っていません。
 それは大きなアドバンテージではあるのだけれど、このシステムが普及していくと、おそらく、多くの人が「人力での判定って、けっこういいかげんというか、審判の裁量が大きかったのだな」と思い知ることになるはずです。
 それが、人間のスポーツに、どういう変化をもたらすのか。
 人間の審判が「正しくない判定」をすることによる揺らぎ、みたいなものが、観客にとっては、スポーツを面白くしていたのではないか。
 ミスジャッジなんて、無いほうが良いに決まっているはずなのに、そういう世界に慣れるのには、けっこう時間がかかりそうだな、と僕は決勝戦のあの判定をみて感じました。



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