いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

「理系早口喋り」についての一仮説


anond.hatelabo.jp


 これを読んでいて、つい最近読んだ本に書いてあったことを思い出したので、紹介しておきます。

fujipon.hatenadiary.com

 2015年の初夏、41歳の若さで脳梗塞を発症したこの本の著者、鈴木大介さん。
 闘病のなかで、鈴木さんは、取材してきた「あたりまえのことがうまくできない人々」と、脳梗塞後の「高次脳障害」の共通しているところを見出しておられます。
 脳梗塞のあと、高次脳障害で、著者は「日常にうまく適応できなくなってしまった自分」に直面することになります。
 そんなときに、「大人の発達障害者」である「お妻様」は、文字通り「寄り添ってくれた」のです。

「お妻様、さっきレジでね。超意味わからんくなった。俺、小銭数えらんない。ヤバい」
「札で出せたんだらいいじゃん。あたしも焦るとよくやるよ?」
 そうか、だから貴様に財布を渡すとやたらめったら小銭で分厚くなって返ってくるのか。
「まあそうなんだけど。でも俺、これ知ってるんだよ。俺が取材してきた人たちって、結構鬱とかパニックとかのメンヘラさん多かったでしょ。発達障害の人多かったでしょ。レジでパニック起こして俺の前で泣き出しちゃった人とかいたし、コンビニで店員さん怒鳴りつけたりする人いた。小銭が数えられなくなった自分に絶望したって話、今まで何度も聞いてきたよ?」(興奮気味)
「大ちゃん、ゆっくり」
「ゆっくりしてたらレジの人待たせちゃうじゃん」
「じゃなくて、ゆっくり話せ」
 情緒の抑制が利かず、呂律回らないくせに早口で噛み噛みにどもりながら話す僕を制御するお妻様。だがこのほとばしる感情と言葉もまた、既視感のあるものだ。
「お妻様、言葉が止まらないよ。考えたこと全部口に出て、窒息しそうになる。上手く話せないのに、止まらなくて、めちゃ苦しいけど。でもこういう話し方する人たちも、取材でいっぱい見てきたよ。大体空気読めないってハブられてた。いるじゃん、オタとかバンギャちゃんとかで自分話止まんなくなって浮きまくってる子。いま俺、スゲーそんな感じ。お妻様も昔のアニメの話とかするとそういうキモい感じになるときあるよね」
「はいはいわかったから、キモい言うな馬鹿」
 訳のわからない興奮状態にある僕をなだめると、お妻様はこう言ったのだった。
「ようやくあたし(ら)の気持ちがわかったか」


 冒頭のエントリでは、「理系早口喋り」となっていますが、理系の人が必ずしもみんな早口で相手が理解できているかどうかを無視して早口で喋るわけではありません。理科系に属する人でもそうじゃない人のほうが多いし、文科系でも「オタク」に属する人には、こういう「早口喋り」の人もいます。
 これはあくまでも僕の仮説なのですが、こういう「感情の抑制が効かなくなった(ようにみえる)早口喋り」というのは、理科系だから、というよりは、発達障害的なものを抱える人の症状のひとつの可能性があるのではないか、と思うのです。
 世の中には、対人コミュニケーションは不得意だけれど、自分が好きなこと、興味があることには、ものすごい集中力や記憶力を発揮できる人、というのが存在します。
 そういう人たちのなかには、ペーパーテストはものすごくできる人も少なくない。
 それだけに、社会に出ると「あいつは良い大学を出ているのに、社会常識がない」とか言われがちでもあるのですよね。
 彼らは、自分の興味を極めるため(あるいは、面倒な対人関係を避けるため)に、理科系の大学に行ったり、研究職に就いたりすることが多いのです。
 「理系だから早口喋りになる」というよりは、「早口喋りになるような脳機能の偏りをもっている人が、理系を選択しやすい」と考えたほうが良いのかもしれません。
 頭の回転が速すぎて、というのは、言われがちな話ではあるのですが、僕の印象では、「本当に頭が良くて、自分を制御できる人」というのは、自分の頭の中でいろんなことを猛スピードで処理していても、「わからないであろう人」に対しては、それなりに速度調節をしてコミュニケーションをしているようですし。


 ただ、こういうのって、「脳の障害だ!」「不可逆的だ!」と言い切れるようなものではありません。
 鈴木大介さん夫妻のようなケースでは、「適応する」のはなかなか難しそうではあるのですが、僕自身も「黒歴史」として、中学校時代に、CD(コンパクトディスク)という新しいメディア(とか言うと、若い人に笑われそうではあるけれど、それまではアナログレコードとカセットテープだったのです)の話をふだんあまり接点がない同級生がしていたときに、いきなり割り込んで、QD(クイックディスク)とMZ-1500の話を延々と続けて、気味悪がられた記憶をいまだに引きずっています。
 当時はマイコンそのものがまだ一般的なものではなくて、「俺の出番だ!」みたいな気分になってしまったのですが、そもそも、なんでCDとQDを間違えるんだ……いや、CDのうんちくを語っても結果は同じだったかもしれないけどさ……
 今は(たぶん)そんなことはない(と思う)。
 ネットでは、自分の興味があることを書けば、それなりに反応してくれる人がいてくれて、やっぱり嬉しいのだけれども。
 

 そんな僕でも、今では立派な「聞き上手」のふりをして、口に糊しているわけです。
 基本的に、子供は「自分の興味があることを延々としゃべる」ことが多くて、年齢とともに、そういう人の割合は減っていきます。
 性差はどうか、とか、超高齢になると、同じ話を相手のリアクション無視で繰り返す人がいるのはなぜか、という疑問も出てきますが、今回はそこまでは考えないことにさせてください。
 発達障害的な面を持っていても、大部分の人は成長(加齢)とともにコミュニケーション能力が成熟し、「適応」していくとも言えるし、「自分の興味があることを相手の反応や時間を忘れて語れる素晴らしい能力を失っていく」とも解釈できそうな気がします。
 

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孤独と不安のレッスン (だいわ文庫)

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