いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

赤の他人を「おかあさん」と呼ぶひと

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 僕は以前から自分ひとりでスナックに行くことはない、というか、一人で飲みに出かけることがないんですよね。最近は出張先でビジネスホテルに戻る前にご飯を食べながらビールを1杯、とかやることはあるのですが。
 お酒を飲むと、そのあと何もできなくなってしまうことが多いので、時間がもったいないと感じるし(できれば寝る前は本を読んだりゲームをしたりもしたい)、もともと親しい人と話すのは良いのだけれど、店で接客してもらうのは苦手なんですよ。
 ああ、僕みたいなつまらない人間と話させてしまってごめんね、と思いつつも、「何か面白い話してよ〜」なんて言われると、なんでお金払って、こっちが面白い話をしないといけないんじゃ!とか内心毒づいているわけです。
 もともとバイタリティのある人って、いわゆる「女の子がいる店」でも、女の子を楽しませることに喜びを感じるタイプが多いのだよなあ。
 もうほんと、僕は帰って『ゲームセンターCX』1本観て寝たいんですけど。
 とか思いつつ帰って確認すると、ブログが炎上していて悶々とする夜もある。
 僕の処世がマシになったのか飽きられたのか、最近はあんまり炎上しなくなりましたが。いや、しないほうがいいんですよ本当に。


 長々と書いてきましたが、僕はスナックって、その店の常連と一緒に入る分には、そんなに苦痛ではないのです。滋養のありそうなものが食べられるし、なんとなくアットホームな雰囲気も、ちょっとホッとする。「おもしろい話して」とか言う人もいないし。
 でも、昔から、スナックで、気になっていることがあるのです。
 それは、スナックとか、こじんまりした飲み屋とかで、常連客が、お店の人を「おかあさん」って呼ぶこと。
 僕はマザコンなので、自分の本物の母親以外の人を「おかあさん」って呼んだことはありません。お店のおばちゃんは、僕の「おかあさん」じゃないから。子供の幼稚園とかで「○○君のおかあさん」って便宜上言うことはありますが。
 お店の人もそんなこと言われたら困るだろうと思うのだけれど、機嫌良さそうにニコニコと常連さんの愚痴とかを聞いているわけです。
 僕の場合、赤の他人を「おとうさん」と呼ぶこともないのですが、男性一般として、家族ではない人を「おとうさん」と呼ぶことは、まあないですよね。
 にもかかわらず、スナックのおばちゃんを「おかあさん」と呼ぶのは、あたりまえの親しみの表現として定着しているように思われます。
 それって、本物の「おかあさん」に対して、なんか申し訳ない気分にならないものなのだろうか。「おかあさん」って、そんなに軽いものなのだろうか。
 おそらく、僕自身が比較的早い時期に母親を亡くしている(父親も、もう亡くなっているのですが)、というのも影響しているのでしょうけど。
 僕は、スナックの「そういうところ」が、ちょっと苦手なのです。
 いや、どちらかというと、他人に対して、そんな「親しみの表現」を身構えないで使える上司や先輩にコンプレックスを抱いてしまうのかもしれないなあ。 
 彼らだって、「本物」と同じだと思って、そう呼んでいるわけないのだから。


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