いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

『カルテット』を観終えて、なんだかとても「みぞみぞする」ので、感想を書いておきます。


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ついに終わってしまいましたね、カルテット。
正直なところ、第8話くらいまでは「終わるどころか、まだ始まってもいないよ」っていうか、「椅子取りゲームに負けたのに、まだ椅子に座っているふりをしている連中」が、ずっと、うだうだしているだけのドラマだなあ、と思いつつも、なんだか気になって観ていたのです。


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なんのかんの文句ばかり言いながら、ちゃんと全話観て、感想も書いてるじゃないか自分!
まあ、こういうのは「とりあえず『カルテット』の感想を書いておけば、日記が埋まるし」みたいな台所事情もあるのですけど、それにしても、今シーズン完走しているのは、『カルテット』と『直虎』だけなわけで、そうか、僕はそんなに高橋一生さんが好きだったのかっ!


しかし、こうして感想を読み返してみると、『カルテット』というドラマは、「大風呂敷を広げ、伏線を張りまくっているように見えた」けれど、「最初から伏線を回収するつもりはなかった」のでしょうね。
公式サイトには「大人の恋は、やっかいだ」って書いてあって、恋愛ドラマになっていくのかと思いきや、「もう、恋愛なんてめんどくさい、かな」っていう人たちの話になっていってしまったし。
メンバー同士の「恋心」みたいなものには、全く進展もなければ、きちんとした結末もなく、「ずっと一時停止のままが良いんじゃない?」っていう、膠着状態で最終回。
真紀さん(になりすましていた人)が、本当はどんなことをやっていたのか、という「事実」が視聴者に明かされることもない。
下手くそだ、才能がない、と罵倒されたカルテットは、「炎上商法コンサート」でも、暴動が起こるほどの波乱もなく、さりとて、それで世間の彼らへの評価が一変する、なんていうハリウッド映画のようなドラマもない。
ああいう「炎上商法コンサート」を描いたのは、「いまの世の中、コンテンツの価値は、その内容よりも、『どんな人がつくっているか』というラベルのほうにあるのではないか」というメッセージなのかな、とか考え込んでしまうところもあるわけです。
佐村河内守さんが作曲した(とされていた)曲は、彼にさまざまな疑惑によって、価値が変わってしまうのか?それは、聴く側の受け入れ態勢が異なるだけで、音階は同じ曲のはずなのに。


ほんとうに、中途半端で、何を言いたいかよくわからないドラマだな……


そう思っていたのですが、最終回、「迷ったあ!」と砂浜を歩いていく彼らを観て、ようやくこのドラマを理解できたような気がしました。


「人生はテレビドラマじゃないんだよ!」


「テレビドラマにはふさわしくない、ごくふつうの大人のダメな人生を、あえてテレビドラマにしてみた」のが、『カルテット』なんですよ、きっと。
なんかダラダラと気取った会話をしているだけで、仕事も音楽も中途半端。
嫌な事からは逃げるし、自分が仕事をもらうためには、他人の足を引っ張ることもある。
真紀さんだって、バレなければ、自分から罪の意識に耐えられなくなって警察に自首する、という人ではありませんでした。
それは、すごく「リアル」なんだよね。
(しかし、その「ふつうのダメな大人」を演じている人が、現実では松本幸四郎の娘さんだったり、松田優作の息子さんだったりするんですよね。『ラ・ラ・ランド』のときも、「でもこの売れない女優役の人、エマ・ストーンなんだよね」とか思っていました。ほんと、僕もめんどくさい大人だ)


中途半端な実力で、ネガティブな話題性しか武器がない4人は、あとどのくらい「音楽」を仕事として続けるのだろうか。長く続けるのは難しいだろうな、と思います。
今さら、NHK交響楽団に雇ってもらえるような実力がつくわけもないから、「音楽教室の先生」くらいが最良の選択肢で、「イオンモールで演奏する」のが目標で。
彼らは「とりあえずやれるところまで、惰性でもやってみる。とりあえず今がなんとなく心地よければ、先のことは考えてもしょうがない」という状況のまま、最終回も終わってしまいました。


ちょっとくらい頑張っても、夢なんてそうそう叶うものじゃない。
でも、夢が叶わなかったからといって、22時50分になったらエンディングテーマが流れるわけではなくて、そういう「椅子取りゲームに負けてしまった自分」と、「終わり」が来るまで、ダラダラと付き合い続けなければならないのです。
『カルテット』が「中途半端で説明不足で、何がやりたいのかよくわからない」のは、たぶん、「リアルな人生はそういうものだから」なんですよね。
人生って、基本的に「無理ゲー」だ。


ただ、不思議なことに、このドラマのラストシーンを観ていたら、「どうせクリアできないゲームなら、無理に攻略しようとせずに、どんなことが起こるのか、つまらなく感じるまで遊んでみるか」って思えてきたんですよ。
もう少し、足掻いてみようかな、って。
とりあえず、今、楽しいと感じることがあるのなら、それを素直に楽しむのもありだよな、って。


『カルテット』は、「中途半端になってしまったドラマ」じゃなくて、「中途半端を描き切ったドラマ」だったのです。
まあでもやっぱりこれ、どうしようもない大人のひとりとしては、とても「みぞみぞする」のだけど。


あと、このドラマでとくに印象に残ったのはこれ!
(と、高橋源一郎さんがいきなり、すずめちゃんのお父さん役で出てきたこと。しかもすぐ死んでしまった……)
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